2012年12月27日木曜日

エンジニアの給料

日本に必要な改革は、ワークシェアリングと成果主義であろう。しかしうまく実現できている企業は少ない。これらを成功させるにはどのようにすれば良いであろうか?

日本とアメリカの給料体系

年功序列(現行の日本)のシステムでは派遣の給料は良くない。 日本では帰属性が重要とされ、長い期間、経営者にかしずいた人に多くお金が支払われるためと思われる。

アメリカでは、正社員だと社内規定などで給料が規定されてしまうので優秀な人材をスカウトしようとしたとき金額が問題になる。派遣ならば個別契約なので労働者に良い条件を提示することができる。 派遣は解雇されやすいとか、結果が出せなければ金額が少なくなってしまうというリスクがあるが、結果を出しさえすれば大幅に高い給料を得ることができるという夢がある。高い給料を出しても、それに見合う結果が出せるならば企業にメリットがあるという前向きな使い方だ。

ところが日本で、派遣はドカゲのしっぽ扱いされたり、正社員より給料が安い。それは帰属性が重要だという考え(派遣は正社員より劣った存在として扱われる)があるのと、派遣社員自身、ほんとうは正社員になりたいが正社員として雇ってくれる会社がないので仕方なく派遣をやっているという後ろ向きになってしまっているからかもしれない。そして結果を評価しないので初めに契約した金額から変化しないことが多い。

年功序列の問題点

年功序列では年齢で少しずつ給料を上げるようにすることで転職をしずらくする。つまりお金で人を縛っているわけだ。日本で年功序列が一般的なのは、給料が急激に変動したり、解雇されたりする不安を除きたいからというのもある。だからあえてお金で企業に縛られる選択をしている。成果を公平に評価するのは難しいのでこれをしなくても良いという意味と、給料が多いの少ないのという苦情が面倒だから(事なかれ主義)というのもある。

しかしお金で人を縛るにはかなりの多くのお金が必要だ。そして派遣が一般的になり、正社員の解雇もニュースになっている時代では、お金で人を縛っておくのが困難になりつつある。

年功序列は給料の金額が実情(その人の仕事が会社の利益に貢献した金額)に反映していない。まじめに働いて人間がバカをみる。夢がない。自分からスキルアップをしていこうとする気が起こらない。

結果を評価しないということは、適合していない職種であるのに本人が気が付かない。会社はそれだけムダに給料を払っていることになる。 経営者は金の生る木を持っているわけではなく、給料はその会社にいるみんなが稼いだお金を分配しているに過ぎない。会社トータルで利益がなければ、支払うことのできる金額も少なくなる。

職種を変えてもらう、あるいは転職した方が本人のためであり、会社のためであるのだがそれら機会が失われる。人間には個性があり、おとなになってから矯正しようと思っても難しい、だから適職というのは会社の競争力の点からも非常に重要だ。

みんなが同じ金額をもらえるのが平等だとする考えは、経済や技術の発展を鈍化させ、やる気うばう。このことは中国の状況をみればわかる。かつて中国は世界の先進国であり、日本も多くのことを学んだ。競争を否定してから経済や技術は急速に遅れていったが、近年、自由化すると急速に人々やる気を取り戻し、日本の産業に脅威をあたえるほどとなった。 このまま日本が改革を行わないのであれば近いうちに追い越されるであろう。

使用者と現場が同じ目線で話し合い、ルールを決める

日本企業が成果主義を実行しようとするとうまくいかないことが多い。それはなぜであろうか?

成果主義がうまく機能するためには、経営者、管理職を含めた全ての人間が平等に評価を受け、その成果に応じた給料をもらう必要がある。

日本では給料体系を決めるのは上の人間で自分たちは給料を削減したくないので、現場の人間だけ給料削減をするルールを作る。日本の成果主義では、労働者のやる気を出させるためではなく、単に人件費の削減を目的にしてしまっている。つまり、ワークシェアリングや成果主義が「搾取」あるいは「弱いものいじめ」の口実になってしまうことが問題だ。

もともと給料の少ない人間の給料をさらに削減するので生活ができなくなり、強い反発を生む。しかたなく元の年功序列に戻そうかという話になる。それが日本での成果主義がうまくいかない理由である。

会社が傾いてしまったのは今の今まで改革を行わなかった上の人間の責任が大きいはず。上の人間ほど削減率が大きくなるようなルールにすべき。 現在の経営状況を開示し、経営者層は何%削減、管理職層は何%削減、現場は何%削減と具体的な目標を設定し、それが全ての労働者に開示されること。改革を確実に行うため経営者は何を実行する、現場は何をするというような具体的な目標を決め、お互いにクロス・チェックを行う。

このルールは使用者側と現場の間で本音で話し合う必要がある。それには労働組合の力が使用者と対等に話せるぐらいである必要があるので労働組合がない場合は労働組合を作ること。どうしても条件が合わなければストライキをしても良い。日本では悪いイメージがあるが、ストライキは正当な労働者の権利である。納得がいかなければ思い切って転職するという選択肢もある。

ビジネスの環境は常に変化する。それに合わせルールを検討する。 半年、あるいは1年毎にポイントのルールは更新する必要があると思われる。

権限と責任、報酬は一体で与える

人事部/経営者などが中央集権的にポイントのルールを決めてしまうのには問題がある。各部署毎にその業務内容の特性、必要な工数などがある。特に設計/開発などの仕事では現場にいる人間であっても工数の計算は難しい。

たとえばポイントのルールを決めるのは各部署の部長と決めたとする。たしかに部長は現場の業務内容や作業工数を正しく把握できていないかもしれないし、個人的な主観で評価してしまうかもしれない。ただ部長自身の評価は、その部署全体の成果をもって決めるようになっていればよい。あまりに不公平な評価をすれば、部下の信頼を失い、その部署全体の売り上げは低下し、その部長は失脚するであろう。(ただし情報がオープンであること)

その部長のやりかたが気に入らなければ転属しても良い。(社内の人材流動化) 不評な部長は次第に一緒に仕事をしてくれる人間がいなくなり必然的に失脚する。 企業が利益を上げるためにはポジションの最適化が必要であろうし、部下の信頼を得るには誠意をもって話し合うということを身をもって体験してもらうことにも意義がある。

権限(雇用、解雇、金額)を与えたなら、その結果に対する責任、報酬(部長自身の給料、その部署の予算)は常に一体とする。

目先の金額だけでなく長期的な視野でポイントを決める

目先の利益だけを基準にポイントを決めると、ポイント低い仕事はみんなやりたがらなくなる。

たとえば電話サポートなどは直接の利益がでない。しかし「釣った魚にはエサをやらない的な仕事」をしていると顧客から反発を買い、次回からそのメーカーの製品を買ってもらえなくなる。場合によってはその件をwebにあるレビューに書かれてしまうかもしれない。直接数値化が難しい「顧客満足度」に対するポイントを考える必要がある。

たとえば雪の降った日に雪かきをするなどは直接会社の利益にはならない。しかし誰も雪かきをしないと近所の人々からは「あの会社の人は...」と言われてしまう。地域社会に貢献するとか、会社のイメージアップなどにもポイントが必要であろう。

自己申告で柔軟にポイントがもらえるようなシステムが良いであろう。

教育もポイントに含める

給料が沢山ほしいと思う人は、後輩が自分より多くもらうことを良しと思わない。それに教育とはコストがかかるものであるので自分のポイントを稼いだほうが良いと思うかもしれない。なので先輩が後輩に技術を教えないということが発生する。

新人教育などは具体的な教育目標などを設定し、実務と教育をはっきり分け、教育の工数(時間) が確実にとれるようにする。新技術などは社内勉強会で、情報の共有を行う。これらの講師となる人にポイントを与える。

各個人の自主的なOJTなどはやりにくくなるかもしれないが、基本的にプロの仕事は誰かに教えてもらうのではなく、自分で勉強する、あるいは先輩が作業しているのを見てまねるのが原則。手取り足取り教えてもらえるのは学生時代だけ。これからは自宅で勉強することも必要であろう。

自分で勉強しても分からなくて先輩に頭を下げて教えてもらう方法もある。ただ教えてもらえるか、もらえないかは相手による。

チームでのポイントを含める

個人の評価だけでポイントを決めてしまうと個人のポイント稼ぎに普請し、チームワークに問題が出るかもしれない。プロジェクトとしての評価も行い、プロジェクトの成果は、そのメンバーでの連帯責任とする。

部下を愛しているか?

成果主義では悪い評価をうけることがあり、それを部下が納得しないことがあるであろう。また会社のルールがあるのでしかたなく評価しただけでは、「否定された」という感情的な反発があるかもしれない。会社の競争力を高めるため、あるいは部下の能力を高めるために評価しているということが伝わる必要がある。

そうした時になぜ悪い評価になったのか説明することと、やり方が悪いのであればそのアドバイスが必要であろう。上司が目指している目標と部下が目指している目標がことなっていたのかもしれない。めざすものが正しく認識されているかの確認も必要だ。 上司は部下に対して親身になって相談にのり結果を出せるようにする。

納得がいかなければ他の部署、他の上司の元で働かせてみると納得させやすい。部下が努力してもどうしても結果を出せないのであれば職種があっていないかもしれない。「上司に問題があるのか」、「仕事があっていないのか」、「部下の能力不足か」本人が納得することが必要だ。

給料の相場

統計によると若い頃の給料は理系が高く、年をとるに従い文系の仕事の方が給料が高くなる。 そして一生にもらう給料は文系の方が高いと言われている。エンジニアは好きな仕事ができれば金額はあまり気にしない。そのため文系より給料が安くなってしまうのではないだろうか?

もっと声を上げても良いと思う。給料の相場を引き上げるには経営者にエンジニアの価値を認めてもらう必要がある。経営者と交渉する、積極的に転職することが必要であろう。とにかく経営者にしらしめることが重要なのだ。それは自分だけではなく、この業界にいるエンジニアにも影響を与える。

改革を実行せよ

金額が少なくなることに対して絶対的な反発を持つ人もいるであろう。年功序列では成果はなくても勤続年数が長ければ多額の給料をもらえる。それが「長いあいた会社のためにつくしてきたのにいきなり給料削減は理不尽だ」という感情的な反発である。

しかし給料が安くなるのは絶対いやだとダダをこねているだけでは前に進めない。選択、決断、改革を実行することが必要だ。

たとえば今後も給料は常に上昇するものと思って家を買った人がいるだろう。給料の削減でローンの支払い、生活費に困るかもしれない。その時は労働組合として先頭に立って経営者と交渉する。どうしても納得のいかない金額ならば、転職をしてもいい。

今後も土地の値段が低下すると思われるのであれば家を売却する必要があるかもしれない。土地の値段の推移を予測するのは困難であるが、負け(予測が外れた)が決まったのであれば早めに決済した方が損失は少なくてすむ。

せっかく買った家を売却しなければならないつらい気持ちはわかる。しかし家を買ったのは個人の判断であろう。であればその責任は家を買った人にある。きびしいようだが大人は自己責任だ。

ビジネスにはリスクはつき物であるはずなのだか、私たち日本人は奴隷になるかわりにリスクを経営者に背負ってもらう生き方をしていたので、自分からリスクのあることを実行できないでいる。これがグローバル社会で日本が負けている理由、日本経済が停滞している理由である。

お金よりも時間が重要な時代になってきた。「お金で人を縛る」のではなく、「優秀な人材が集まる会社」にする必要がある。それには会社の内側から見た価値を高める。今まではこの重要なリソースを会社が一方的に搾取することが容認されてきたが、これからは、労働者の幸福、個人の時間を大切にする必要がある。

それに必要な改革は、ワークシェアリングと成果主義であろう。正しいやり方であればワークシェアリングと成果主義は実現可能だ。そしてワークシェアリングや成果主義は企業の競争力を高め、労働者の幸福を体現するものでなければならない。

2012年11月13日火曜日

明日のエンジニアのために

日本人は、まわりの人を非常に気にする。「自分は普通の人間か? 同じになっているか?」 みんなと同じということは楽しく感じることもある。しかし周りに合わせなければならないということは、自由にならないことでもあり、ストレスの原因にもなる。 この個人主義、多様性と対極にある慣例/思想(護送船団方式)はビジネスの世界に大きな影響を与えている。

人間にしかできない仕事、それは創造

最近の設計は、1人の担当する部分は機器の内部でごく小さな部分に限られる。 すると仕事は機械的になり、仕事のおもしろみ・やりがいを感じにくくなってくる。

人は本来、「創造的な仕事をしたい、より良い仕事をしたい」という欲求がある。 しかしあまりに硬直した組織ではそれこそロボットのような働き方になってしまう。

人間の隣で人の形をしたロボットが活躍する時期が直ぐそこまで来ている。 その時、経営者はロボットを買ったほうが得か、人間を雇用したほうが得か比較をする。 人間がロボットの真似をしてもロボット以上の成果を出すのは難しいであろう。

だから人間は人間にしかできない仕事、つまり「創造的な仕事」に移行する必要がある。 やる気を引き出すためにも、1つの価値観を強制するのではなく、現場に判断を任せることが必要であろう。 人件費の安いアジア諸国と競争をしなければならないことを考えても、人間がロボット的な仕事の仕方をしているのは得策ではない。

製造から設計/開発中心に

製造ラインでは、まるで時計仕掛けのように働かなければならないことが多い。 日本人は、まわりの人を非常に気にする。「自分は普通の人間か? 同じになっているか?」 この文化が「チームワーク」「帰属性」に寄与し、日本は製造業で成功したのだと思う。

しかし時代が変わり、ロボットがやるような仕事は機械(あるいは本物のロボット)にとって変わられるし、人件費の安い国と競争するのに不利となる。機械化できない精緻な手作業的な仕事は将来にわたって残っていくと思われるが、そのような仕事の需要は少ない。

設計/開発を行うには長期にわたる人材の教育が必要であるため、簡単にはまねできない。 日本は、資源がない代わりに教育水準が高い。 なので製造中心の仕事から、設計/開発中心に変えてゆくのが良いだろう。

設計/開発は適材適所

設計/開発では、多くの知識が必要、個人の素養が重要である。 最近の電子機器は非常に多機能になっており、1つの機種全体を把握するのは困難になってきている。一人前のエンジニアになるには10年以上の年月がかかる。

全ての人が同じにならなければならないとすると、製品全体の広大な知識を1人1人が全て持たなければならなくなり、多くの時間やコストがかかる。教育のコストを削減し、できるだけ早く一人前として仕事ができるようにするには、異なる能力/知識の人間を組み合わせて、お互いに欠けている所を補うようにするのが良い。つまり「多様性が必要」

そして必然的に異なる知識を持つ人材を組み合わせて1つのプロジェクトを実行する必要があり、人材の組み合わせ方(適材適所)がプロジェクト成功のカギとなる。

現場の判断を優先する

製造部での働き方を設計部で強要していないだろうか? 経営者/管理職も技術的なことを理解したうえで判断したいということなのだろうが、何か判断をする毎に、細かいことまでいちいち会議をしていると、基礎知識の勉強会みたいになってしまい、判断が遅くなるばかりでなく、無駄な作業工数が発生する。

設計/開発においては、技術の進歩が早く、過去にエンジニアであった人も現場から離れて、数年経つと浦島太郎になってしまう。管理職が現場を通ったときに、たまたま耳にした情報で指示をしようとすると間違った指示をしてしまうかもしれない。また判断するには過去から現在にいたる話の流れを知っていないと正しい判断をできないということもある。

細かいことまでいちいち上司が規定するのは部下を信用していないというメッセージを発しているのと同じ。(部下を否定している) 自分で判断をして仕事が成功したというのは「認められた」→「やる気」に結びつく。

設計/開発においては技術的な判断はエンジニア(各パートのスペシャリスト)が行う。 そして技術的な最終判断はプロジェクトリーダーが行うべき。 経営者/管理職は政治的な判断を行う。

アサインの重要性

設計/開発では適材適所が重要となる。

人は自身の経験や知識でしか判断できないので自分と同じやり方をすれば成功すると考える。 上司と部下では経験や知識が異なり、その時の環境もことなるのでうまくいくとは限らない。 自分が以前成功したやり方だからというだけではなく、どうしてそうなるのか論理的な議論も必要だ。

上司は失敗することが心配でアドバイスをするのだが、やはり実際に経験しないと納得できないということがある。失敗すればその分コスト、時間を浪費してしまうが、教育という側面からは失敗を経験させることが必要だ。

ビジネスでは、責任が発生ある。 失敗するとやり直しのために大変な思いをするだけでなく、回りにも迷惑をかけてしまう。 このことを身をもって経験させるのは意義がある。(失敗した時のコストにもよるが...) 上司のやり方が正しかったと分かれば信用があがり、次回から従うようになるだろう。 納得していないのに無理強いするとお互いにストレスが発生し、最悪の場合、人間関係が破綻することさえある。人間はロボットとは違うので、感情に配慮することが必要だ。

ゆえにやり方を強制するのではなく、どの仕事に誰を割り当てるか(アサイン)を慎重に決めることが非常に重要だ。アサインは、個人の知識や経験に配慮して決めることが基本となるが、性格の不一致があるので上司と部下の組み合わせにも注意する。大人になって自身の気質を変えるのは不可能に近いからだ。

どんな能力があるか、何がやりたいか本人とコミュニケーションをとり、上の都合だけで決めてはいけない。

やる気を取り戻すには

皆さんの会社では生き生きと仕事をしている人が多いだろうか、それとも死んだ魚の目をした人が多いだろうか? 本当に「会社に感謝し、一生つくして行きたいと思っている人」はどれぐらいだろうか? 労働者の「やる気」を奪っているものはなんであろうか?

命令だけして、失敗したときに回りの責任にし、逃げてしまう人がいると「やる気」を失う。 部下は上司に仕事の結果を報告する義務があるが、上司は部下に仕事の結果を報告する義務はない(失敗を容易に隠蔽することができる)。

失敗の原因は、上司の判断ミスだけではなく、部下の実力不足もあるかもしれない。 しかし上司の命令に従って仕事をしたのに部下のせいにしてしまうと信用を失うことになる。

であるから「責任はその命令を出した人間がとる」。

役職が上に行けば行くほど権限が大きくなり、業務命令を出すことのできる範囲が大きくなる。 経営者になったなら会社全体のいかなることについても口を挟むことができる。 しかし会社内のことを全て判断できるわけでもないし、やはり責任をとりたくないということもあるであろう。 それに気になった所だけ口を挟んでいるとどの案件も中途半端になってしまい結局、現場に迷惑をかけることになる。

だから役割分担を明確にし、まかせる所は現場に任せる。 経営者は経営のプロ(会社全体の大局を見極める、政治的な決定)となり、管理職は管理のプロ(政治的な決定、労働者の評価、アサイン、金銭の管理)となり、エンジニアは技術的な判断を行う。 誰がどのような命令を出し、その結果がどうなったか見えるようにすること(会社の透明化)も必要であろう。

在宅勤務、2交代制の可能性

既存の価値観を捨て、大胆な改革があっても良い。たとえばITの技術が進んでいるので在宅勤務が可能な職種が多くあるはずだ。

コンピュータ関連の仕事はほぼパソコンだけあれば仕事ができる。日本人の平均通勤時間が1時間20分だとされるが、これが削減できれば交通費、時間などが節約できるはずだ。満員電車の中、1時間20分の体力消費もばかにならない。

技術が進んでも在宅勤務が普及しないのは、「労働者を監視していないとさぼるのではないか」とか、 「部署によって在宅勤務を許可したり/しなかったりすると不公平だといった声がでる(ことなかれ主義)」、従来タイムカードで給料を決めていたがその手法が使えなくなる、などの理由がある。

仕事の分割が悪く、コミュニケーションの量が増大し、口頭の手段のみを選択しているので常に顔をあわせていなければ仕事ができなくなっているということがあるかもしれない。

たしかに監視していないとさぼる人もでるだろうがそれは結果を評価し、結果に基づき給料が支払われれば良いし、自己管理のできない人は在宅勤務禁止にし出社してもらえば良い。 自己管理できる人とできない人を同じ条件にするのは「平等」ではない。これは苦情がでるのがいやだから逃げているだけの「ことなかれ主義」だ。結果を平等に評価し、それに応じた対応をする。 その方が事務所の面積が少なくて済むし、労働者も通勤の苦労をしなくて済む。

設計/開発ではとても残業が多い、早く新商品を発売することは企業にとって利益になるからだ。 この分野では情報の共有が難しく、2交代制が難しかった。ITの技術を用いて情報の共有ができるようになれば2交代制をしき、残業なしで業務を遂行できるようになるのではないだろうか? これは雇用対策としても有効なはず。

フレックスについてももっと多く普及しても良いはずだ。 フレックスが可能な職種であってもフレックスになっていないのは、「朝早く出勤させた方が沢山残業させることができるから」とかしょうもない理由だったりする。コアタイムを10時にするとみんな10時出勤になってしまうのはそれだけ無理な労働をさせていて、本当に楽しんで仕事をしていないということを指し示しており、結局、使用者と現場が本音で話せていないことの暗示でもある。

土日に出勤をし、平日に休みを選択できる会社、あるいは出社時間が極端に遅い会社があっても良い。 あまりにみんな同じなならなければならないという思いが強いのである時間帯に集中してしまう。せめてラッシュアワーの時間帯だけでも避けることができれば体力の消耗も少なくてすむし、電力消費のピークも低くてすむ。大震災の影響で電力消費のピーク低減は急務であるはず。

今こそ柔軟な発想が必要であろう。

まとめ

日本の会社には改革が必要ということを繰り返し言った。

やらなければならないことは、  「護送船団方式」「ことなかれ主義」を捨てる。 どの仕事に誰を割り当てるか(アサイン)を慎重に決めること、役割分担を明確にすること。 仕事のやり方を強制するのではなく、適材適所(社内での人材流動化、その会社に合わなければ転職)。 結果を評価する。丸投げをやめる。 政治的な決定と技術的な決定をはっきり分ける。 プロジェクトリーダがまとめ役としての役割を発揮すること。 プロジェクトリーダーは、年齢や勤続年数で決めるのではなく、有識者を指名する。 個人での判断を拡大し、その代わりにその責任は判断をした人間に負わせる。

「つらいのは今だけだ、しばらく辛抱すれば高度成長の時のような景気の良い時代になる」と言い 改革を行わない人は多い。インフレからデフレの時代に変わり、日本の人件費は高騰した。デフレの時代は長期化すると推測される。ビジネスの環境が変わったことを認め、改革が必要である。

2012年10月28日日曜日

グローバル化への適応

⇒派遣における帰属性の続き

リスクを恐れない

終身雇用のシステムは世界的にみればかなり特異でである。アメリカではより働きやすい環境、あるいは給料の良い会社があれば転職するのは日常的なことである。転職は人生のステップアップであり、悪いことだとは考えない。

日本で 現行の会社がなくなったとして、他の会社でも雇ってもらえるスキル、能力があると言える人はどれぐらいあるだろうか? 現場の人間だけでなく、経営者もその仕事のプロとして誰にも負けないという自信/実力はあるだろうか? 日本では解雇されないことが前提、言い方を変えると転職が困難であるので今居る会社でいかに「ずるく、働かないでお金をもらうか」を考える人が出てくる。

アメリカでは 勤めていた会社が買収され急に働き方が変わってしまったり、会社の分割や合併などもしばしばである。そして結果のだせない経営者は「チェンジだ」と言われる(派遣だけではない!)。 だから経営者も結果を出すために努力するし、会社にいてほしい人間がやる気を持って働いてくれるように配慮する。

もし働きにくい会社になってしまったならば、エンジニアは自分たちで新しい会社を設立する。またその新しい会社のために資金を提供しようとする投資家もいる。「おもしろいことやろうぜ」と言ったときにリスクを恐れずに集まってくるエンジニアがいて、投資家もリスクを恐れず、夢のあることにかける。このことがアメリカの強さであり、今でも先端技術で世界をリードしている理由である。

日本では直ぐにお金をもらえる仕事、リスクの少ない仕事がメインになっている(ベンチャー企業が育ちにくい)。このような仕事は利益率が低く、労働者を酷使する原因となっている。 日本とアメリカの統計を比べても、日本は労働時間が長く、時給が少ないことが分かる。

会社とは仕事をする環境であり、結果が出せるならばどこでも良い。 こう考えていくと「帰属性重視」から「人材の流動化」「自立心重視」に変えていかなければならない。

もちろん人は仕事/お金だけでは生きていけないので「安らぎ、愛」なども必要だ。 その場所は「家庭」であるので仕事と家庭の両立が必要である。 「家族みたいな会社が良い会社」というのはけじめのない働き方だ。 会社はビジネスをする場所、家庭は安らぎ、愛、休息をする場所というけじめが必要だ。

製造主体から設計/開発主体へ

戦後、高度成長の時期、日本は先進国に比べて人件費が安かったので製造の仕事で利益をうることができた。 現在は、アジアの国々も技術力をつけてきてこれらの国と価格競争するのは困難だ。またデフレは長期継続すると推測される。 今まで日本は製造を主体とする仕事をしてきたが、これからは設計/開発を主体とするように改革をする必要がある。 つまり日本を設計/開発の拠点、ファブレス(工場を持たない)とし、製造は海外の人件費の安い会社で行うということ。

いつまでも改革を行わないのであれば、やがては経営が立ち行かなくなる。経営者は経営がうまくいっていないことを隠しておくことが多いので、あるきっかけで大量解雇が発生するかもしれない。 そうならないためには計画的に再教育をし、現在製造をしている人間が設計/開発できるようにする。 教育には時間がかかるので今から段階的に業務の変革を進めておく必要があるのではないだろうか?

最近は大手企業の解雇などがニュースになっている。 日本では労働者は会社によりかかり、中小企業は大手企業によりかかり、大手企業は国によりかかるという構図になっている。 大量解雇を出さないために血税を使うというのは改革が行われないからではないだろうか? 改革なしに血税を使うというのは子供たちに大人たちの失敗を背負わせることに他ならない。 血税を使うのであれば経営者がチェンジすること、そして確実に改革が行われること、そして改革の内容が国民や株主に公開されることが必要だと思う。

助け合いというのは「よりかかる」ことではない。 たとえば大きなプロジェクトを実行するには、多くの資金が必要で、リスクが伴う。 資金を集め、リスクを半減するために複数の企業で協力し、1つのプロジェクトを成功させる。 複数の企業が協力することで技術的に欠けている部分を補い合うこともできる。 助け合いとは「協力して前に進むためのもの」である。

今までライバルであった会社が協力しあうには論理的に話し合うことが必要である。日本では小さな集団の利益を優先するきらいがある。(ある特定の部署のみの利益、自社のみの利益) 大きなプロジェクト全体で考えてうまくいくような話し合い方(コミュニケーション能力)が必要ではないだろうか?

2012年10月19日金曜日

派遣における帰属性とは

就職の審査の際に重視される項目に「帰属性」がある。この言葉は抽象的で意味が分かりづらい。その深淵にあるもの、なぜ帰属性を気にするのか考えてみたいと思う。

帰属性とは

辞書にはおおよそ次のような意味で書いてある。

属して、つき従うこと(所有物となること)。

就職時に言われる帰属性は多少ニュアンスが異なる。

従来 日本では、終身雇用と言って一度就職した会社に一生勤めるのが良いこととされてきた。しかし最近は、派遣という働き方が普及してきた。

職務履歴を見て、多くの会社を転々としている人間、あるいは1つの会社を退職し、次の会社までの期間が開いてしまって人間は「帰属性が低い」とみなされる。帰属性という言葉は、労働者に無理難題を強要しても転職しない性質(ある特定の企業に長い期間所属し続ける)という意味で使われてしまうようだ。

仕事とは辛いもの、直ぐに転職したりするのは我慢が足りない。あるいは、すぐに時給の高い会社に移動してしまうのは困るというわけだ。

企業側の都合

帰属性が重要ならば、派遣を使わないで正社員のみで仕事をすればよいはずだ。企業が派遣を使うにはいくつかの理由がある。

経営が良好な時には長く働いてほしいと思うが、会社が傾いてしまった時には正社員を守るために派遣を切ってしまいたいというのがある(俗に言うトカゲの尻尾切り)。 これは一般派遣より常駐(特定派遣、つまり派遣会社の正社員)が喜ばれることからも分かる。まあ正社員と言って実際は外注(二重派遣)、請負であったりするのだが...

派遣では忙しい時には労働者を増やし、仕事が少なくなれば解雇してしまうことができる。つまり人件費を節約できる。福利厚生の費用が正社員より派遣の方が少なくですむということもある。

また面接/筆記試験だけではその人間の能力を判断するのは困難であるので、使えない人間であったならば切ってしまいたいというのもあるかもしれない。(このニーズに合わせた紹介予定派遣というのもできている。初めは派遣として働き、何ヶ月か働かせて気に入ったら正社員にする)

労働者の都合

労働者が一般派遣を選択するには次のような理由がある。

派遣ではお金が必要な時に働き、貯蓄をして休むことができる。(残業なしの会社、1ヶ月ぐらいの長期休暇の取れる会社があると良いのであるが日本ではまず不可能だから)生活の保障がない代わりに自分の時間を持てるというメリットがある。正社員より派遣を選択する人は、自分の時間を大切にしているということができる。

家庭に病人がいる、本人の病気/障害、子育てで長時間働くことができない人は派遣やパートしか選択肢がないということもある。

日本の会社システムには改革が必要

日本の大手企業では、タイムカードを押すためだけに来ている人が沢山いる。

なぜららば日本の会社では長く会社に勤めること(帰属性)が重要で仕事の結果はあまり評価されないからだ。むしろ仕事で結果を出すとより多くの仕事が押し寄せ、かえって自分の時間がなくなる。とにかく言われたことだけをやり、仕事を増やすようなことは発言しない、それが賢いサラリーマンということになっている。

日本には「ことなかれ主義」が蔓延し、何か発言すると不利益な扱いを受ける。

終身雇用では、転職が困難であるので経営者の機嫌をそこねたら一巻の終わりという思いがある。だから不満があってもYESとだけ答える、または黙っておく。やがては経営者、管理職の人たちと現場の人間の間で建前でしか話せなくなる。

使用者側のごり押しが容認され、無理難題を押し付けられてもYESしか言うことができなくなるのは、現場の労働者は会社を変えるようなことはできないからだ。つまり使用者と現場の乖離が起こる。

最終的には、現場がやる気を失い、会社が競争力を失う。あるいは本当に必要な人間が転職してしまうかもしれない。

日本では会社に感謝をし、一生この会社につくして行きたいと思っている人間がどのぐらいいるであろうか? 労働者をお金で縛っても良い結果はでない。経営者、管理職、現場の人間それぞれ立場は違うが1つの会社を盛り上げていくためには本音で話し、みんながハッピーになれることを考えるべきだ。

アメリカなど海外では1ヶ月ぐらいの長期休暇のある会社がめずらしくない。 海外では条件の悪い会社では優秀な人材が転職してしまうので経営者だけの都合で労働者を酷使できないからだ。給料についても年齢や勤続年数で決めるのではなく、1人1人が交渉して給料が決まる。日本のように使用者側が一方的に決めるのではない。

労働者1人1人生き方は異なる。時間がほしい人、お金がほしい人、仕事が生きがいの人、どれが正しいというのではなく、それぞれに生き方があるので会社の都合で1つの型にはめないことが肝要だ。

すでに派遣切りが社会的な問題になっており、正社員になったとしても一生雇用が保障されているわけではない。今も大手企業の大量解雇がニュースになっている時代だ。終身雇用が終わったことを認識し、「帰属性に対するこだわり」を捨てるべき。

会社も労働者もハッピーになるためには

日本では終身雇用が長くまだ派遣の歴史が浅いので、メリット/デメリットを把握して、うまく運用することができていないように思う。

ではどうすれば良いか?

帰属性が重要だなどと言っていないで、会社の価値を正しく把握し、優秀な人材が集まる会社にすることを考えるべき。会社の内側からみた価値を改善するための改革が必要だ。

たとえば、残業にたよらなくても仕事ができるようにするとか、結果の出せた人間には1ヶ月ぐらいの長期休暇を許可するとか。それには情報の共有を行い、この仕事はだれしかできないということのないようにする。現在はITの技術が発達しているのでこれを有効に使い、会社のノウハウが継承されるようにする。

終身雇用では1つの企業、1つの部署に長期間 在職するので他の会社(他の部署)の仕事を仕方を知らず、比較することがなかった。多くの場所で仕事をするとさまざまやり方があることに気づき、必然的に比較される。

たとえば仕事のやりやすい/やりにくい場所であるか、ストレスの多い/少ない職場であるとか、金額が多い/少ないなどである。労働者からよりよい仕事のやり方、提案を受けた際に、きちんとコミュニケーションをとらず、改革をしたくないから、頭ごなしにそこの部署のやり方を強要していないだろうか? 個人的な主観を強要するのは部下に嫌われる原因となる。会社全体の利益を考えた判断、社内規定に即した指揮命令になっているかが重要である。

他の会社(他の部署)の仕事を仕方で良い方法は積極的に採用し、改革を行う。やり方を変えると不平がでるので改革をしないというのは「ことなかれ主義」である。

時給を年齢と勤続年数で決めてしまうのも「ことなかれ主義」からきている。 結果を評価するようにしないと、タイムカードだけ押して後は働かないという人間が増えてしまう。働かない人間が居づらい場所にするには結果の評価が必要なのではないだろうか? もちろん本人がやる気をなくしているのは会社や周りの人間にに問題があるかもしれないので本人と話しをしてやる気を取り戻すことがまず優先されると思うが...

労働者も自分自身の価値を正しく把握し、自身の能力を高めることを考えるべき。人材の流動化が盛んになれば、必然的に労働者が比較される。派遣では、契約で金額が決まるのでスキルアップ(職務経歴書上の)も必要だか、実務で結果を出すことも重要だ。今までは会社が教育してくれるのを待っていたがこれからは自宅で勉強をするということも必要になる。

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コニュニケーション能力とは

最近、「コニュニケーション能力」という言葉を多く聞くが、あいまいで人により解釈がことなるようだ。ここでは就職の場面で使われるコミュニケーション能力、人と人とのコミュニケーション能力について考察する。

コニュニケーション能力とは

コミュニケーション能力とは人から人に正確に情報を伝え、あるいは情報を受け取る、折衝する能力。 コミュニケーションには本来 論理的コミュニケーションと、感情的コミュニケーションがある。ただし就職の場面で使われる「コミュニケーション」とは感情面のみが強調されるきらいがある。

なぜコニュニケーション能力がクローズアップされるか

コミュニケーション能力という言葉が氾濫するきっかけには派遣の普及、個人主義の影響がある。

従来の日本の会社は終身雇用であり、お互いに仕事のやり方がわかっていたため、「阿吽の呼吸」で実行し、細かいことは話さなくてもすんだ。 「空気を読め」という言葉があるように個人的な意見を言うのはタブーとされ、建前だけで仕事が進んでいくのが日常であった。

ところが派遣が一般的になると、会社によって仕事の仕方が違うため、前の会社でのやり方にこだわってしまう人も出てくる。 そのやり方が効率的であったとしても変革するのに強い抵抗を持つ人がある。 現在の会社の慣例に従うのか、新しいやり方に変えるか? いやおうなくコミュニケーション(折衝・妥協)をとる必要がある。

アメリカでは、さまざまな人種、さなざまな宗教、さまざまな考え方があり、自由/多様性を認めるお国柄であるため、日ごろから積極的に話す(折衝する)ことは求められていて、その訓練がされている。

それに対し本音で話す訓練を受けていない日本人はこの場面でトラブルになりやすい。なぜならば感情に流されやすく、冷静に、論理的に話すことができないからだ。会社としてはごたごたは困るので従順な人が良いという意味で「コミュニケーション能力のある人が良い」という言い方をしてしまうことがある。

経済的に窮地にある日本の会社は改革が必要であるので、冷静に、論理的に話し積極的に改革してゆくことが必要だ。いつまでも「ことなかれ主義」に流されていてはいけないのではないだろうか?

コミュニケーションの手段

コミュニケーションとは口頭だけではない。まず手段を列挙しておく。

  • 口頭(言語による、直接しゃべる)
  • 非言語(表情、身振り、手振り)
  • 書類、手紙
  • 電話
  • メール
  • PCを介した手段(ファイルの共有、ブログ、webなど)

これらの手段はどれが優れていてどれが劣っているというものではなく、一長一短があるのでTPOで使い分ける。特に最近はPC(コンピュータ)の発達に伴い、PCを介してのコミュニケーションが大事になってきている。

たとえばメールは簡単に転送することができ情報の共有に便利である。 しかしあまり重要でない内容まで転送していると、読みきれないので本当に重要なメールを読んでもらえないことがある。

メールでは内容の重要性が伝わらないので重要なことは口頭を併用した方が良い。ただ全ての内容を口頭でというわけではない。細かい仕事の指示などは口頭だと正確に伝わらなかったり、全てを覚えきらなかったりするためだ。メールは記録が残るのでミスが少なくなるが、口頭より多少時間がかかる。多くの情報を伝達するのに適する。

また相手によって使い分ける必要があるかもしれない。 普段、本をよく読む人は読解力があるので文章に抵抗がない。反面、あまりおしゃべりはしないので口頭で説明するのは苦手かもしれない。 おしゃべりの好きな人は、口頭での説明を多用する。反面、本を読まないので文章を読むのが苦痛かもしれない。 また普段 口頭を使う人は感情を主体に考えているので、表情、身振り、手振りなどが見えないメールでのコミュニケーションでは不安を感じるかもしれない。

若い人たちはPCの扱いになれており頻繁に使うが、年配の方はPCの扱いが苦手で苦痛に思っているかもしれない。

人は自分の得意な手段を使いたがるが、相手に合わせて手段を選択することも必要だ。

意思決定の仕方

コミュニケーション能力のある人とは従順な人ととらえてしまうのは問題がある。双方が譲り合って最適な結果を探しだすことが必要だ。

しかしいくら会議をしても決められないということがしばしばある。 その場合 政治的なことであれば、多数決、あるいはツルの一声にせざるをえない場合がある。なぜなら大勢の損得に関わることは、どのように決めても全ての人間が満足するような結論を導くことは難しく、全ての人間が満足する結論を得ようとすると永遠に会議を続けなければならない。会社の判断はビジネスチャンスを逃さないためにすみやかに行わなければならないためだ。

賛否両論に分かれる場合にはどちらが正解でどちらが誤りというわけではなく、その方向性により誰が損をするかというだけのことが多い。であるからより多くの人が満足するであろう多数決、あるいは、最終的にその選択をした結果に対してビジネス責任を取る人間が決める。つまり経営者が判断するということが行われる。

多数決、あるいはツルの一声で決める方法は、技術的な事柄を決めるには適さない。

設計/開発の仕事で進め方を決める際に効率的な方法、信頼性を確認するための評価方法などをは高度で非常の多くの知識が必要だ。正しい判断をするには、その業務内容に深い知識を持つ「有識者」でないと判断できない。なぜならマシン(機器)は物理法則に従い動作しており、誰かの損得で判断をしてしまうと後でつじつまが合わなくなるから。会社の中で有識者はわずかしかいないので多数決で決めてしまうと間違った方向にプロジェクトが行ってしまう。

経営者は経営の専門家ではあるが、技術的な専門家ではない。ツルの一声で技術的なことを判断してしまうとプロジェクトが失敗する可能性が高くなる。経営者は経済的な責任を取ることができるかもしれないが、会社の赤字が積み重なれば、経営はやがて立ち行かなくなる。 技術的な最終判断をするのはプロジェクト・リーダーであり、有識者をプロジェクト・リーダーに任命し、判断させる。

政治的なことと技術的なことでは意思決定の仕方がことなるので注意する。

[メモ]  妥協とは:対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、解決すること(自分の意見も言い、最適な結果を探す)。 従順とは:人に逆らわない、おとなしく人の言うことに従うこと(自分の意見を言わない)。

コミュニケーションの質と量

コミュニケーションの量は多すぎても、少なすぎても問題がある。コミュニケーションの量が多すぎても、コミュニケーションには工数が必要であるのでトータルで考えると仕事の効率が下がってしまう。

各担当者に仕事の割り振りが適切でない、あるいは役割分担があいまいであると無用なコミュニケーションが増加し、作業効率が低下する。組織を考える、役割分担を明確にすることは重要である。

コミュニケーションの質も問題である。 おしゃべりが好きな人は、業務時間中に遊びの話に夢中になってしまうかもしれない。また社外で機密情報や個人情報の話をしてしまうかもしれない。 これはある意味コミュニケーションではあるがつつしまなければならないコミュニケーションである。

どのようなコミュニケーションが必須であるかも考えておく必要がある。 たとえば業務に必要なことがらでも個人で判断すべき内容と、上司(あるいはプロジェクト・リーダー)に承認をとるべき内容がある。いちいち細かいことまで承認を取っていると業務の効率を低下させ、上司も対応しきれなくなる。何が承認を受けなければならない内容であるかはその会社/部署によりことなるので基準を設けておく必要がある。

論理的に話す訓練

遊びでのコミュニケーションであれば、本当は同意していなくてもYESといっておく。そして、相手をほめる言葉だけを使い、否定的なことは言わない。

これは好きな人には従い、嫌いな人には反発するという性質があるため、自分の意見に同意してほしいと思うならば好意を持ってもらう必要があるからだ(単純にその方が楽しいということもある)。

これはコミュニケーション能力というよりも相手に好意をもってもらう能力と言った方が良いかもしれない。

遊び/趣味ではみんなが楽しむことが目的であり結果は求めない(あえて目的を定めるのであれば楽しめたかどうか)。なので心の中で思っていることと、言葉として発していることが一致していなくても許される。

しかし仕事では結果が求められ、義務や責任がある。だからこのような手段がビジネスシーンで通用するとは限らない。ビジネスシーンでは、本音で話す、感情に流されず、冷静に、論理的に話すことが必要だ。

人により、感情優先で判断する人、論理的な思考をする人があるので相手に合わせて説得方法を選択するということも必要であろう。感情優先の人に論理的な説明をしても説得は難しいからだ。

本音で話すということ

会社では「ホウレンソウが大事」などと言われることがある。 ホウレンソウとは報告・連絡・相談のこと。ただ日本の会社ではさしさわりのない内容だけ報告してホウレンソウをしていることにするということが多い。

これは終身雇用の弊害の1つであるが、たとえば仕事をしていて何か重大なミスをしてしまったとする。上の人間に相談して親身になって対応してもらえるかというと、何も対応してもらえずに「しかられるだけ」ということが多い。

なぜなら簡単に転職ができないので経営者/管理職は働きやすい環境を作ることに無頓着になり、役職を持った人間は自身では動こうとしない(役職に対する甘え)。現場の人間からみれば報告・相談をしてもしかられるだけなのでミス/トラブルを隠し、自己処理をしようとする。つまり「臭いものには蓋」という発想だ。

上司と部下の間に信頼関係がなければコミュニケーションは「建前ホウレンソウ」になってしまう。まず信頼関係を築くことが重要だ。

信頼関係を築くにはまず役職を持った人間から意識を変える必要がある。 ミス/トラブルが発生したときには、怒るのではなく、教育をするということ。部下に対して話しを親身になって聞き、上司も当事者であるという認識の元に協力して問題の解決にあたる。

失敗したからといってけっして人間的に責めてはいけない。あくまでも同じミスを繰り返さないための教育である。大きな損失を出したときには怒りたくなってしまうかもしれない。しかし人の上に立つ人間は常に部下に対して愛をもって接するということだ。

上司が親身になって対応してくれることが分かれば、部下の方も重大な問題が発生した時に隠さず、相談しやすくなる。こんなに良くしてくれる会社(上司・経営者)であれば一生ここで働きたい、あるいはこの会社につくしていきたい。そう思えれば会社の業績もUPし、帰属性も良くなるのではないだろうか?

長期的な視点に立って考えれば信頼関係を築くこと、働きやすい環境を作ることは重要である。

感情に対する配慮

論理的に話そうとしても人は感情に流されてしまうということがある。なので相手の感情に配慮することも必要だ。

たとえばNOと言わなければならない時には、それを相手に正しく伝えなければならない。ただしその時の表情、声のトーン、身振りなどで印象はずいぶん違う。相手に嫌悪感を抱かせないでNOといえる能力が必要だ。

表情は自然な方が良い。そしてNOと言われても怒らないこと。ここまではどんな場合でも適用できる手法である。 笑顔が良いというのはTPOによる。みんなが真剣な話をしているのに1人だけ笑顔だったならば「おちゃらけたやつだ」と思われてしまう。また社会的地位の高い人と話す時に笑顔を作っていると「自分を軽く見られている」と思い気分を害するかもしれない。役職を持っている方はプライドが高い場合があるので相手によって使い分ける必要がある。

人間は、誰もが自分は大切にされたい、自分は優れていると思う心があり、これを「自尊心」と言う。

部下に仕事の指示をしたり、同僚に手伝ってもらうとする。その時 作業途中で横から、やり方にけちをつけたり、仕事の結果を見て不平や不満を言うと、自尊心を傷つけ、その人を否定したことになる。

ではどうすれば良いかと言うと、仕事の依頼をする際には、何をどうしたいかを予め伝えておく。それには業務の内容をよく理解し、効率的に仕事をするためのアドバイス、失敗しやすい点、完成度がどこまでならOKか? 会社のルールでこうしなければならないなどを理解しておくことが必要だ。

上司の主観(会社のルールではない、個人的な考え)の押し付けはできるだけ避けるのが望ましいが、どうしてもそうしたのであれば他の人間と自分との考え方/仕事の仕方の違いを十分に把握し、部下に予め説明できるようにすること。

部下はこれで完成だと感じていても、上司は不満に思うことがある。それは人によるどこにこだわるかが違うためだ。特に上司が神経質な時に主観の相違が起こりやすい。合格とみなす条件を作業を始める前に話しておくこと、あまり神経質にならないことが肝要だ。

敬語を正しく使うこともコミュニケーション能力のうちの1つだ。相手を軽んじる話し方をすると嫌悪感をいだかせ、同意してもらえるはずの内容もNOといわれてしまうことがあるからだ。

その他 基本的なこと

最も基本的なことがらであるが、分かりやすく、明快に話すことも忘れてはならない。アナウンサーのようにはっきりとした発音とまでとは言わないが、ゆっくりとはっきりと話すように心がけるだけでもずいぶん違うものだ。

相手の聞き取り能力が低いから悪いのだと開き直ってはいけない。 特に大勢の前で発表しなければならない時には、自分の声をボイスレコーダで録音して、客観的に聞いてみると良い。とにかく相手が聞き取れないのではコミュニケーション能力は0点だ。

その他 相手に伝えるためには、考え方が整理されているか? 流れに沿って話しをしているか? できるだけ専門用語は使わないなども重要だ。

まとめ

いろいろ書いたが自分中心で考えない、聞き手のことを考えて話すということだろうか? それから情報が共有できていないというトラブルが多いように思う。

2012年9月2日日曜日

ワークシェアリングの勧め

ワークシェアリングとは、勤労者同士で仕事を分け合うこと。 1人あたりの労働時間を短縮し、雇用を増やす働きがあるといわれ、オランダでの成功例がよく知られている。 日本では、推奨されることはあったがほとんどの会社で実施されていない。 ここではワークシェアリングのメリットと日本での実現の可能性を探ってみたい。

残業大国日本の弊害

従来、日本では働くことは美徳とされ、長時間の残業をし会社に奉仕することはあたりまえという概念があった。しかし近年ではグローバル化、自由競争の激化などで労働者にたいして過剰なストレスを与えるようになってきた。 昔は、家族のような会社が良い会社とされ、働く喜びや社員同士のなごやかな雰囲気があった。 しかし現在は売り上げノルマ達成や短納期で仕事をするなど同じ時間数でも精神的な負担をしいる仕事が多くなっている。

そのことは自殺者、過労死、心身症の増加、あるいは10年ぐらい勤続した人間が突然出社拒否に陥り会社をやめてしまうなどとの関連が懸念される。 ストレスはじわじわと人を蝕む。1年ぐらいでははっきりとた影響が認められずに10年ぐらいで発症する。 だから会社の責任か、本人の責任なのか区別が難しい。

深夜のコンビニで体がぶつかったと言って喧嘩をし、警察に補導される人、道で歩いていて追い越されたからといって腹を立てる人。普段、会社で時間に追われ、長時間残業を強いられているとイライラがつのり怒りっぽくなる。こんな光景はみなさんも目撃されたことがあると思う。

はたしてこれは本人に自生する能力がないのが悪いのだろうか? それとも労働者に過剰なストレスを課している会社が悪いのだろうか? ストレスの度合いが数値化することが困難であるので、どの程度まで許すか法律で規定することが困難である。 まだ労働法で労働時間が規定されていても、36協定で作らないで残業させたり、36協定のリミットを越えて働かせている企業はしばしばある。 これらは違法行為であるが、労働者が告発しないこと、労働法を守らせるための機関である労働基準監督局が企業に干渉するのに消極的であることなど、労働法違反が後を絶たない。

企業がたくさん残業させた方が儲かると思っているから、 高齢者や子育てをしている人に対して仕事がなくなり、失業率が増加する。 労働時間を短縮できれば仕事をしたくても仕事をさせてもらえない人が職に付くことができる。 仕事をできない人が減少すれば生活保障、失業保険などの出費が抑えられる。

なぜワークシェアリングができないの?

1つには、会社の労働者を増やすと社会保障費が増えるとか、労働者同士での情報の共有が必要になりそのためのコストが増大するという懸念がある。 しかし一方1人あたりの労働時間を増加させても集中して仕事のできる時間を決められており、過剰な残業をさせても仕事の効率ややる気は低下するという考え方もある。 日本人は「ことなかれ主義」で誰かが異論を唱えるようなことはしない、つまり変革を望まないので、単純に改革できないというのもあるかもしれない。

人間らしい生き方を求めて

商業主義の世の中では、お金儲けが優先され、労働者の不利益は仕方のないこととされてしまう傾向がある。 ほんとうにお金さえあれば人間は幸せになれるのだろうか? 何が幸せなのかは人それぞれだと思う。 しかし日本に住んでいる限り、自分や家族のための時間が取れる会社はほとんどない。 いろんな生き方があっても良いはずなのだが、選択肢がないのが問題だ。

この解決方に、こんな法律の改正案はどうだろうか? 企業が長時間残業をさせているのはその方が儲かると思っているからであるわけで、 長時間残業させると儲からなくなる仕組みを取り入れれば良い。 具体的には、残業させた時には1.25倍の賃金を払うことが法律で決まっている。 これを2倍にするとかどうだろうか?

会社全体、1人あたりの残業時間平均を計算し、その値に応じて法人税の金額を変えるというのはいかがだろうか? つまり過剰な残業で儲けようとしている企業には増税をするということ。 消費税の増税よりも建設的ではないだろうか?

そうすれは、お金儲けが最優先である民間企業はワークシェアリングを導入せざるを得なくなるであろう。 ワークシェアリングが普及すれば、派遣切りにあった人、新卒で仕事につけなかった人、高齢で仕事のない人に 働く機会が与えられ、現在 正社員で働いている人も自分の時間をもてるようになるのではないだろうか?

給料の金額は少なくなるかもしれないが、デフレである現在、多少金額が低下しても十分生活はしてゆける。 強いストレスにさらされると、お金でストレスを解消する遊びが多くなるが、ストレスが低減すればそのためのムダ使いも少なくなるはず。結果的に私たちはその方が幸せになれると思うのだがいかがだろうか?

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