2012年10月28日日曜日

グローバル化への適応

⇒派遣における帰属性の続き

リスクを恐れない

終身雇用のシステムは世界的にみればかなり特異でである。アメリカではより働きやすい環境、あるいは給料の良い会社があれば転職するのは日常的なことである。転職は人生のステップアップであり、悪いことだとは考えない。

日本で 現行の会社がなくなったとして、他の会社でも雇ってもらえるスキル、能力があると言える人はどれぐらいあるだろうか? 現場の人間だけでなく、経営者もその仕事のプロとして誰にも負けないという自信/実力はあるだろうか? 日本では解雇されないことが前提、言い方を変えると転職が困難であるので今居る会社でいかに「ずるく、働かないでお金をもらうか」を考える人が出てくる。

アメリカでは 勤めていた会社が買収され急に働き方が変わってしまったり、会社の分割や合併などもしばしばである。そして結果のだせない経営者は「チェンジだ」と言われる(派遣だけではない!)。 だから経営者も結果を出すために努力するし、会社にいてほしい人間がやる気を持って働いてくれるように配慮する。

もし働きにくい会社になってしまったならば、エンジニアは自分たちで新しい会社を設立する。またその新しい会社のために資金を提供しようとする投資家もいる。「おもしろいことやろうぜ」と言ったときにリスクを恐れずに集まってくるエンジニアがいて、投資家もリスクを恐れず、夢のあることにかける。このことがアメリカの強さであり、今でも先端技術で世界をリードしている理由である。

日本では直ぐにお金をもらえる仕事、リスクの少ない仕事がメインになっている(ベンチャー企業が育ちにくい)。このような仕事は利益率が低く、労働者を酷使する原因となっている。 日本とアメリカの統計を比べても、日本は労働時間が長く、時給が少ないことが分かる。

会社とは仕事をする環境であり、結果が出せるならばどこでも良い。 こう考えていくと「帰属性重視」から「人材の流動化」「自立心重視」に変えていかなければならない。

もちろん人は仕事/お金だけでは生きていけないので「安らぎ、愛」なども必要だ。 その場所は「家庭」であるので仕事と家庭の両立が必要である。 「家族みたいな会社が良い会社」というのはけじめのない働き方だ。 会社はビジネスをする場所、家庭は安らぎ、愛、休息をする場所というけじめが必要だ。

製造主体から設計/開発主体へ

戦後、高度成長の時期、日本は先進国に比べて人件費が安かったので製造の仕事で利益をうることができた。 現在は、アジアの国々も技術力をつけてきてこれらの国と価格競争するのは困難だ。またデフレは長期継続すると推測される。 今まで日本は製造を主体とする仕事をしてきたが、これからは設計/開発を主体とするように改革をする必要がある。 つまり日本を設計/開発の拠点、ファブレス(工場を持たない)とし、製造は海外の人件費の安い会社で行うということ。

いつまでも改革を行わないのであれば、やがては経営が立ち行かなくなる。経営者は経営がうまくいっていないことを隠しておくことが多いので、あるきっかけで大量解雇が発生するかもしれない。 そうならないためには計画的に再教育をし、現在製造をしている人間が設計/開発できるようにする。 教育には時間がかかるので今から段階的に業務の変革を進めておく必要があるのではないだろうか?

最近は大手企業の解雇などがニュースになっている。 日本では労働者は会社によりかかり、中小企業は大手企業によりかかり、大手企業は国によりかかるという構図になっている。 大量解雇を出さないために血税を使うというのは改革が行われないからではないだろうか? 改革なしに血税を使うというのは子供たちに大人たちの失敗を背負わせることに他ならない。 血税を使うのであれば経営者がチェンジすること、そして確実に改革が行われること、そして改革の内容が国民や株主に公開されることが必要だと思う。

助け合いというのは「よりかかる」ことではない。 たとえば大きなプロジェクトを実行するには、多くの資金が必要で、リスクが伴う。 資金を集め、リスクを半減するために複数の企業で協力し、1つのプロジェクトを成功させる。 複数の企業が協力することで技術的に欠けている部分を補い合うこともできる。 助け合いとは「協力して前に進むためのもの」である。

今までライバルであった会社が協力しあうには論理的に話し合うことが必要である。日本では小さな集団の利益を優先するきらいがある。(ある特定の部署のみの利益、自社のみの利益) 大きなプロジェクト全体で考えてうまくいくような話し合い方(コミュニケーション能力)が必要ではないだろうか?