2016年3月13日日曜日

X680x0の復刻

X680x0を復刻をするという話がネット上にあったので私なりの意見を書いてみる。

望まれる仕様

もしも実現するなら次のような仕様を希望する。

CPUとSoC

互換性重視とし、MC68EC030、またはMMUが入っている本物の68030(または68040)。68030は入手しにくくなっているからセルベースICの中に68030を入れたSoCとする。最近のセルベースICは、小ロットでも制作しやすくなっているから実現可能かも。

日本でも半導体業界の再編、水平統合が進み、人材があまってきているはずだ。その人材を有効活用し新しいことに挑戦する。パソコン用のSoCなどは面白い開発テーマではないか?

現在のパソコンではCPUとGPUが1チップに収まっている。本企画でもCPUとGPU、それからスーパーIO、MPEGの圧縮・伸長機能をハードウェアで実装する。MPEG(あるいはJPEG)の圧縮・伸長は既存のIPがあるのでそれを買ってきてSoCに入れ込む。MPEGのサポートがハードで行われていれば、CPUが非力でもwebでの動画閲覧やビデオのPCでの編集などが可能になるであろう。

古いLSIは入手困難であろうし、古い回路であれば開発元から公開してもらいやすいはずだ。ミニマルファブとして利用するのであれば行政からの口ぞえもしてもらえるかもしれない。古いLSIをHDLに書き換えてIP化する。新しいチップセットはX680x0ライセンサーで一括管理し、チップセットを製造する会社よりライセンス料を徴収し、IPを提供した会社にもライセンス料が行くようにする。ただしあまり高額なライセンス料にすると結局利用されないので適切な価格で運用する。日本ではケイレツが邪魔をして、自社だけが儲けよう、秘密主義になりやすい。家電業界でもパソン業界でも水平化、グローバル化が求められている。水平方向に、技術情報が共有できるようにすることが重要だ。

Arduinoが成功したのは、ユーザー・フォーラムの形成がうまくいったから。なにも高性能、高機能だからではない。情報がオープンで適切な価格で販売されていたから。ビジネスだから結果が黒字になることは必要であるが、自分だけが儲けようとするのではなく、 自ら創りだそうという人に対し情報を公開し、次世代のIT技術者、ASIC設計者を育てる。

FPGAを内蔵し、そこでDSP機能をもたせるのも面白いかも。数量の点でセルベースICが使えないならばメインのチップをFPGAにしてしまうという案も。

グラフィック

DOS/V並みの高解像度、たとえば「1,920 x 1,080」ぐらい。画面の縦横比は3:4の方が使いやすい。互換性を考えて従来のビデオ・モードが使えること。256×256または512×512×最大16ビット(65,536色)、768×512×最大4ビット(16色)

ディスプレイ

シャープというばX1から続く家電と一体のパソコン。液晶ディスプレイとし、地デジ/BSが見れること、HDD録画ができること。パソコン側からテレビをコントロールできること。テレビの回路は、現在、家電で使用されている液晶テレビのものを流用。ただし録画時、動画の圧縮、伸長はパソコン本体にあるチップセット側で行う。ディスプレイ・インターフェースはHDMI。

メモリー

1GBぐらいの標準実装メモリー。最大8GBぐらいまで増設可能。メモリーマップドI/OやVRAMは従来互換のメモリーマップとする。ただしリニアなメモリー空間を確保するために何かの設定でメモリーマップドI/OやVRAMのアドレス位置が移動できた方が良いかもしれない。

HDD

内蔵HDDは現在の水準、容量:1Tぐらい、sATAまたはSSD。外付けHDDはUSB、またはsATA。SCSIは互換性のため残すか? →いらない気がする。

RS-232Cとプリンター

レガシーな、パラレルポートとシリアルポートは削除。USB接続だが、変換ケーブルを用いてセントロに変換し古いシャープ製のプリンターが使えること。最近のESP/Page、ESC/P、ホストスクリプトのプリンター、ネットワーク接続のプリンターが使えること。

RS-232Cが必要な場合は、USB経由で変換ケーブルを使う。

音声の入出力

従来品と互換性のある回路と新たに追加されるリニアPCM音源を持つ。アナログ入出力: 24bit / 96kHz / ステレオ。デジタル入出力はいらない気がする。MIDI音源は従来品と互換。高度な音源が必要ならFPGAのコンフィグレーションをISPで書き換えて実現。

ジョイステック

不要。必要な場合はUSB接続で既存のジョイステックが使えるようにする。

光ドライブ、リムーバブルメディア

現在の水準である、CD/DVD/Blu-ray対応。DVD-ROM、DVD-R、DVD-RW、DVD-RAMに対応。Windows用が流用できれば良い。CD/DVDから起動できること。

フロッピーのドライブは1台だけ搭載、もう1つのドライブは仮想ドライブとする。MOは必要であればUSB接続で既存の周辺機器が使えれば良い。

USBフラッシュが使えること。USBフラッシュから起動できること。デジカメはUSB接続で使用出来る事。接続した時にストレージに見える一般的な方法で良い。

マウスとキーボード

キーボード(標準添付)は、シリンドリカル・キャプチャでテンキーはいらない。キー配置は従来どうり。テンキーが欲しいというユーザーはWindowsのフルキーを接続できるようにする。マウスは、3ボタン、ホイールをつける。キーボードとマウスはUSB接続とする。

キーボードとケースは国内の優秀な工場で製造する。特にキーボートは使用感、寿命に大きく影響する。押した時のキーの感覚が異なると高速てタイプしたときにタイプミスが発生しやすいし高級感を損なう。安価なメンブレン・タイプは長期使用していると引っかかりがでたり、故障が発生する。コストダウンをした方が良いのではとの意見もあると思うが、安いPCが欲しいのであればWindowsマシンで十分なはずだ。 基板は、中国や台湾で製造してもいいかもしれない。

拡張機能

拡張ボードは互換性重視、従来のままで良い。変えるとしたらPCIe。ユーザーが自分でハードも作れる方が楽しい。 ネットワークとUSBは必須であろう。100BASE-TXとUSB2.0を追加する。1000BASE-TXとUSB3.0でも良いがそれほと必要ない気がする。 無線LANはUSB接続でWindows用が流用できれば良い。USBコネクターは全面に2ポート、背面に2ポート。

3Dメガネの代わりにグーグル・グラスのようなものをつけるのも面白いかもしれない。

ソフト

Human68k、SX-Windows、VSなどは、新しい周辺機器に対応すること。新しい解像度に対する対応は重要だ。機能はとりあえず従来のままでもよい。BIOS(シャープではIOCSと呼ぶ)、デバイスドライバーなどの開発が必要になる。全ての周辺機器をプラグアンドプレイに対応するのは大変であるので、USB機器だけプラグアンドプレイに対応する。これらはユーザーフォーラムの協力をあおぎ、ボランティアを活用、できるだけ開発費をかけないようにする。特に日本語対応は重要だ。

古いソフトはできるだけ無料でダウンロードできるようにし、かつてのユーザーが楽しめるようにしたい。従来、本体に付属していたソフトはX680x0ライセンサーが一括管理し、基本的には無料で使えるようにする。

Linuxはユーザーフォーラムで勝手に移植をする。プログラミングに必要な情報は全ての人に公開。無料であるがメーカーの保証はない。メーカーは情報をオープンにするそのかわりにユーザーはできる範囲で開発に協力する、ただし自由を尊重する、という哲学を貫徹する。これは使うだけの人しか存在しないWindowsでは実現できないこと、X680x0だからできること。

外観

X68000ACE相当、色はグレーでも黒でもいい。

ビジネスとしての実現性

シャープは2010年にパソコン事業から撤退することを表明しているので実現可能性は低い。ただ元パソコン事業をしていた人には、未練があると思う。社内ベンチャーとして少数精鋭でやってみるのもおもしろいと思う。このような企画は、ユーザーがコアな人限定で利益率は高いのだから販売数量が少なくても、事業の結果が黒字になれば良い。

今のWindows PCは中身がウィンテル・オンリーになってしまい、安売り合戦になっているのがまずい。他社の持っていなもので勝負する。かつてX680x0に育てられた人は、現在IT企業でかなりの役職についているはず。CPUが遅くても高価でも買ってもらえる。これもある意味、ブランド戦略だ。

Windowsを使っている人のほとんどは、安くてソフトの種類が多く揃っているからそれを選んでいる。だからもっと安い機種がでれば簡単に乗り換えてしまう。X680x0のユーザーは、自ら作り出す人たち、テクノロジスト、クリエータが多い。それに愛着をもっている。そこにビジネスチャンスがある。新しいソフトウェアの開発などは情報をオープンにすればボランティアがたくさん参加してくれるだろう。(コミュニティの設立) そのようにすることによりメーカーとユーザーの一体感が生まれ、開発費用も節約できる。他の企業がデッドコピーしようとすることは考えにくいし、デッドコピーをしたい企業がいたなら大いに奨めて良い。このオープンな開発環境こそがユーザーが求めるもの。相当品が出まわれば価格競争もあるがソフトウェアの開発も加速される。

今まで大手企業は、デパート方式でケイレツ内に何でも揃え、ケイレツ以外からものを買っちゃいけませんと言ってきた。そのような仕事の仕方はグローバル化には適合しない。終身雇用、年功序列の世界では、定年まで同じ会社にとどまりたくさん残業した人には、役職と高給をあたえるからがんばれ、がんばれと言って来た。しかしエンジニアという人種は必ずしもレッテルとお金を欲しているわけではなく、やりたい仕事をあたえたときにすごいパワーを発揮するものだ。日本にはベンチャー精神が必要だ。

シャープの再建は国民が注目している。ミニマルファブは国が推進する先端技術である。これらを結びつければ、国からの補助金も期待できるかもしれない。今までは開発から製造、営業まで同じケイレツ内でやらなければならないとなっていた。これからはケイレツの壁を突き抜けて、ユーザーも開発に協力、電子科やIT科の専門学校生などが最先端の技術に触れる機会をつくる。正直なところ学生の能力には大きな差がある。全員に強制参加させるのではなくやりたいと手をあげた生徒、ほんとうに能力のある人限定で機会をあたえる。多様性、自主性が重要だ。大学や専門学校と連携して実務的な学習をやらせる。多様性に満ちた開発環境にチャレンジする。

情報を公開すると海賊版が出るかもしれない。付加価値があるのは、外観やブランドであるので、回路図やソースコードは公開するが、ブランド、意匠はコピーさせない。意匠権や商標権は国内はもとより海外でも登録しておく。日本ではデザイナーの地位が低い。経営者はもっとデザインの価値を認識すべきだ。本体をメーカーwebにインターネットに接続した際に、暗号を用いて純正品か、あるいは正式なライセンスを受けた相当品なのか、海賊版なのかを判別できるようにする。

2016年3月12日土曜日

保育園落ちた

ネットやニュースでだいぶ話題になっている表題の件、私なりに考えてみた。

保育園に入れなかった親のグチとそのジコチュウな発言に対しての反発。同じような境遇の親たちからの共感。共働き、シングル・マーザーなど仕事と育児の両立なんて無理。ワーキング・プアな人々の叫びが聞こえてきそうだ。

まず、行政だけにすべての責任を転化するのは問題であろう。会社は社長の私物ではない。一人ひとり提案をして、みんなで話し合いワーキング・プアから脱出するにはどうすれば良いか議論する。やるべき改革を実行する。民間企業が、建前では育児休暇の制度は用意しておきながら、実際には有給をとらせないことが多い。また労働者も有給を取ったなら昇進や給料に影響があると思い言い出せない。昔は、3世代家族が多かったので祖父母に子供を見てもらうことができたが、現在では嫁・姑問題をきらい、各家族化が進んだ。離婚が多く、再婚もいやがる。経済的に困窮したからといって母親は子供を離したがらず、行政が再婚を強制するわけにもいかない。

昔は、近所の大人が子供の面倒をみるということがあったが、現在では母親が神経質に なっており、他人が子供に触るのをいやがる。へたをすると子供に声をかけただけで変質者あつかいされかねない。 親戚づきあいが少なくなって子供をお互いに預けることができない。

また保育園に入れないと勉強が遅れる、スタートが遅れるといい学校に入り、いい会社に就職できない。人生負け組になってしまうというあせりがある。教育は平等であるべきなのに入れる人と入れない人がいるのは不公平だというねたみがある。しかし親や教師の都合で暗記させたことはすぐ忘れてしまうものだ。教科書の内容にこだわらず幅広いことに興味を持って自主的に学習することが大切だ。幅広い経験をさせてあげられるのは、両親、親戚、近所の人だ。

行政がやるべきは規制緩和だ。保育園を開設するにあたりわけのわからない規制をなんとかする。金額の自由化をする。保育士がたいへんな仕事をしているはずなのに待遇が悪いのは市場原理が働いていないから。

ネットで炎上してしまうのは、行政のやっていることが国民に伝わっていないから。せっかくあなたに投票をしたのに本当に社会に役立つ仕事をしてるのか? たしかにweb上で行政の方針が公表されているし、テレビでの知事の記者会見などもある。しかし文章の方はいかにも固く、読みにくい文章、長すぎる。テレビ放送も建前の話ばかりで長々と、どうしても飽きてしまう。 国民から投書を募集して、その質問を女性アナウンサーに読ませ、知事が答える形式が良い。1回、10〜15分ぐらいでテーマをしぼって週に1〜2回の放送ぐらいがよい。そのようなことを実行することにより政治に興味を持つ人が増えるであろう。

統計を調べてみると都道府県により待機児童数には大きな差がある。保育士の給料も都道府県により大きな格差がある。園長先生は、保育士に比べて極端に多額な給料をもらっている。認可保育園、非認可保育園、私立幼稚園に対する行政の補助が大きく異なる。これらの格差は問題になっている。

保育園を増やすにはまず保育士の労働環境を改善する

保育園が少ないのは、保育士の仕事が低賃金で過剰労働だからであろう。保育園が足りないという人が多いが、それなら自分から保育士になって社会に貢献しようという人が、どれだけいるだろうか? 金額の自由化をはかり、成果にみあう賃金がはらわれるようにすること。それからワークシェアリングを行い8H以内に必ず仕事が終わるようにする。早番と遅番に分けて労働の多様化を実現する。

保護者、保育士、保育園の経営者が本音で話せるようにする。会議はやっているという人が多いが、どうにもならない後は惰性で仕事するだけという結論になってはいないだろうか? グチをいうだけではなくどのようにすれば良いか解決案を提示し、論理的に議論することが必要だ。各家庭ごとに事情は違う、多様性をみとめできることをやる。たいへんなのはみんないっしょ、助け合いをするということ。

保育士の試験がむずかしくなってしまっているのは事故があったなら絶対ダメというのがあるかもしれない。 たしかに死亡事故を起こさないための最低限の訓練はする必要はある。かといって極端に敷居が高くてはなり手がいない。ベビーシッターの国家試験を設けて、1週間ぐらいの研修で免許が取れるようにする。ベビーシッターは企業の託児室で働ける。あるいは保育園で保育士の補助として働く(民間が作った資格制度はあるが時間がかかりすぎる)。

行政から補助金をもらっているわけだから、50才以上の人間や身体障害者も積極的に雇用すべきた。働きたくても仕事にありつけない人のために役立てられたらよいであろう。

保育士の給料が安いのは、ワーキングプアが広がっていて、低所得者が保育所に子供を預けたがっているから。専業主婦の減少、共働きが増えて、保育園の利用者が急増している。利用者が十分な金額を払えれば、保育士の給料は上がり、保育士は増えるはず。年収200万円以下の低所得者数はうなぎ登りであることは統計をみても明白だ。お金がないから共働きなので教育にお金は使えない。景気が回復したとマスコミでは宣伝するが、デフレ・スパイラルは続いており、低所得者も増え続けている。私はいつも言っているのだが利益率の低い仕事を惰性でしていてはいけない。利益率の高い仕事にシフトするように経営者と交渉する。

保育士の給料の一部を税金で補填すればという案は推奨できない。今でも国の借金が膨らんでいるのにこれ以上増やすことは、今の大人がやるべきことは怠けているため、次の世代を担う子供に借金を背負わせることになる。子供たちは経済活動がどうなっているかさえわかっていないのに大人の都合で負債を負わせるべきではない。経営者は、従業員に低賃金で長時間労働させれば何とかなるといい、従業員がどれだけつらい思いをしているか考えもしない。年収200万円以下の労働者は今すぐ団結し、経営者と何をどう改革すべきか交渉すべきた。 日本全体が負け組になっている、こんなことじゃTPPが実行された時、改革していない企業は倒産してゆくであろう。保育士不足の根源はワーキングプアにあることを自覚せよ。

ベースアップは必要ない。企業の収益が回復しても経営者が自分のポケットに入れてしまい、従業員の給料に反映されないことをなんとかする。改革を行わない企業に対して改革を行わなければ立ち行かない状況を作ることが必要。地域別最低賃金(行政が決めた基準)を現状に対して+10%とする。保育士不足が解消されるまで緊急措置として、保育士の地域別最低賃金を現状の+20%とする。

民間企業内に託児室を作る

法律で100人以上の事業所に対して託児室の設置を義務化するのはどうだろうか? そこの会社に務める従業員(パートを含む)は無料で利用できる。近隣の住民は有料で1日単位で預けることができる。そうすれば出勤、退社時に子供の送り迎えに苦労しなくて済むし、急病の時にすぐそばにいるので安心できる。小学校就学前にはペーパーテストで良い点数を取るような教育は必要ない。友達と仲良く遊べるとか大人のいう事をきく、とか社会性の発達が重要だ。別に保育園や幼稚園でなくても良い。

子供に愛情を注ぐことができるのは、親や親戚、あるいは近所のおじさん・おばさん。お金を払って預かってもらうというのはお客様になってしまう。子供が悪いことをした時にしかってもらうのは必要なこと。お客様になってはならない。

民間企業内、従業員どうしで預け・預かるコミュニティーをネット上に作るのも良いだろう。従業員数の多い会社であればITの技術を利用し簡単に実現できるように思う。問題は事故が起こらないないように注意し、場合によっては保険に加入する必要があるかもしれない。

経営者と交渉する際は1人ではなく同じような境遇の人と連携すること。育児休暇を取らせないのは悪い会社だという文化をつくる。ハローワークのデーターベースで企業の口コミを入れて求職者が見れるようにする。経営者や人事担当はウソの申告をすることがあるので、ハローワーク経由で就職した人から直接、残業時間や育児休暇がとれたかを聞き取り調査をし、その情報を開示する。

町内会のNPO法人化

町内会の存在意義が問われる今日、町内会が率先して託児所を運営するのはどうだろうか? 町内会の集会場などは役員会や催しものをする時だけ使われ、使われない時間の方が多い。使用しない日限定、1日単位、低料金で子供を預かるというのはどうだろうか? そうすれば町内会の費用もそこでくめんできて、子供をもった親も助かる。

町内会というのは、行政機関の下請けになってしまい、加入が強制になってしまっている。町内会はNPO法人化し行政や民間企業のやりたがらないことをやる。会費は利用者が負担し、社会のためになることに対してはその費用の何割かは国が負担する。

神主がいなくなった神社や住む人がいなくなった民家などは管理がいき届かなくなり、街の景観をそこなう。ひどい場合には、家屋倒壊の危険や放火の対象になりやすいということもある。土地の価格が低下してしまい売るに売れない、他人に貸すにもリフォーム費用がないので荒れるままになってしまっている。地方ではこのようなことがよくあるので、これらをリフォームして託児所として有効利用する。街の景観も改善され、子供を持った親も助かるではないだろうか? 土地や家屋のオーナーから不動産屋(または工務店)に管理委託する。リフォームの費用は不動産屋が負担し、託児所の運営利益から不動産屋に少しづつ返済をする。運営は町内会またはNPO法人がする。今は利子がほぼゼロなのでそのような事業がやりやすいはずだ。銀行は零細企業に貸し出しはしないので大手企業がこのような社会のためになることに積極的に実行する。

2015年12月23日水曜日

成果主義の疑問点

日本は今まで年功序列であったが、急に成果主義にすると失敗するリスクがあると思っている 人が多いであろう。 しかしやらなければならないことではないだろうか? 成果主義の疑問点について考察したい。

成果を公平、公正に評価するのは難しい?

タイムカードの残業時間を見て、たくさん残業しているから優秀な人間だという評価ならば小学生にもできる。 勤続年数や年齢を見るだけですむなら簡単だ。 役職をもらうということは、命令する権利があたえられるが、その命令で起こったことに対する責任を負わなければならないということ。 たしかに公平、公正に評価するのは難しく、個人的な私情をはさんでしまったり、個人的な価値観に基づき評価をしてしまうことがある。

たとえば物の価値、リンゴ1個が100円で売っている店があり、1個が200円で売っている店があるとする。 はたして1個が200円のリンゴはリンゴ1個が100円の2倍の価値はあるのか? 1個が200円で売っている人はこれは良いリンゴだから他より2倍の値段をつけても買ってもらえると思っているわけだ。 本当においしいリンゴであれば2倍の値段でも売れるし、その方が儲かる。 100円のリンゴと変わらないのに2倍の値段で売っているならば、あそこの店は「ぼっている」と言うことでどの客もあいてにしてもらえなくなるだろう。

人材も市場原理に基づき比較、競争されるべきではないだろうか? 何がその会社にとって価値のある人材かは絶対的な基準はない。会社だって個性があるわけだから。 もしも市場価格よりも安い給料しか払えないならば転職すればよい。 改革を行わずワーキング・プアを続ける会社、経営者が自分のポケットマネーを増やすことしか考えていない会社には、 従業員がいなくなってしまう。そうなりたくなかったら改革を進めるとか社長の交代がいやでもやらなければならなくなる。 会社も比較、評価を受けるようでないと人が大事にされる良い社会にはならない。

会社と労働者の関係は選び/選ばれる関係でなければならない。 決してお金で縛っておいて、自分の都合の良い歯車にしたてあげるものではない。 いつも不公平な査定をする管理職は管理職としての適性がないのであるから降格にすればよい。 個人的な価値観で決めるのではなく、会社として統一的な基準をつくること。 完全に公平、公正にするのは困難であるが、部下と交渉して納得させる、信頼関係を確立することが重要だ。

才能や努力が報われないのでは?

成果主義とは、成果に対して報酬が支払われるものであるから、才能があって、努力したからといって給料が高くなるとは限らない。 努力したのに少ししか給料がもらえないと感情的になるかもしれない。 そのようなときに、同僚に対してひがんだり、足を引っ張ったりしてはいけない。

なぜ成果が出せなかったか、どのような改善が必要かをよく考え、上司も本人にアドバイスをする必要があるであろう。 努力をしてもその努力があさっての方向であったならば成果にはならない。 才能があってもその才能が生かされない職種・仕事の仕方であったならば成果にはならない。

日本では、全ての人が「同じやり方をしなければならない」(護送船団方式)とか、「努力=たくさん残業すること」のように 狭い意味でとらえられてしまう傾向にある。自宅での学習、新しいやり方にチャレンジ、積極的に転属なども努力である。 プロの仕事とは成果を求められるもの。努力をすることが目的ではない。

日本人は本音で話せないので新しい人間関係をうまく構築できない。それが同じやり方に執着したり転属を拒む理由になっている。 努力しても成果に結びつかないならば、職種を変えてもらうとか、上司を変えてもらう、転属するなど、 人材の最適化が必要。すばらしい才能を持ちながら、その才能を発揮できていない人が多いのではないだろうか?

成果が出るまで時間がかかる

基礎開発や教育などは、仕事をしてもそれが売り上げに反映されるには数年、あるいは十年以上かかる場合もある。 日本が成果主義に失敗する理由は、今月の売り上げ/今年の売り上げのみを成果としてしまい、成果にカウントしない。 そしてカウントされない基礎開発や教育をやらなくなることにある。

すぐにお金に結びつかないこれらの仕事でも十年先に会社が存続するために必要なことであるということは 1人1人の労働者に意識をさせ、そのような社内文化を創っていく。 よい社内文化を創って行くのは時間のかかることであるがやらなければならないことだ。

管理職の作業工数が増える

公平な評価のためには作業工数が必要なのは当然であろう。 いままで管理とは、たくさん残業させるために見張っておくとか、仕事のやり方を強制することであった。 成果で給料を決めるのであれば旧来の仕事は必要なくなるのであるからそれほどの工数増加にはならないはずだ。 工数がふえるふえるといっているのは成果主義を導入しても「残業させるために見張っておく、仕事のやり方を強制する」 ということをしようとしているから。

それと日本の管理職は管理だけではなく実務もやっていることが多い。仕事の役割分担があいまいだ。 管理職のスキルである「公平に評価する能力」「顧客、経営者、現場のすり合わせ能力」をみがくべきだ。

定期的な交渉が必要

定期的な交渉が必要というのは当然だ。それを億劫と思ってはいけない。 良い仕事、会社と労働者が長くつき合うことができるかは、win-winの関係になること、あるいは信頼関係にあるわけだから。 今まで交渉なしでゴリオシをし、不満があってもガマン・ガマンという仕事の仕方が誤りなのだ。 感情的にならず論理的にプロジェクトにかかわる全ての人が等しく幸福になれるということ。 お客様優先にした方が儲かる。従業員満足度はどうでもいい。弱い人間が顧客と経営者、両方から搾取を受けるような会社ではダメだ。

あまり頻繁な交渉はたいへんであるから1年に1ど、あるいは2どぐらいで良いから、 労働者本人と部長(または社長)とマンツーマンで交渉する席を設ける。ボーナス前にあなたの査定はどのようになって その結果ボーナスはいくらですと言い。それに対して異議はあるか? 仕事をしていて不便な点、会社の改善が必要な点があればいってほしい。 ここで話した内容は、査定に影響しないということを明確にして本音で話せるようにする。

成果主義に適さない職種があるのでは?

誰にでもできるような仕事は、利益率が低く、成果主義で競争させてもあまり意味が無い。 たとえば総務の仕事などは時給をみな同じにしてしまい、年齢/勤続年数による格差をなくしてしまうのも良いかもしれない。 年功序列は企業に人をしばっておくためのしくみなので、誰にでもできる仕事に対してそのようなコストをかける必要は無い。 そのような仕事は一括してアウトソーシング(派遣/請負)にしてしまい、正社員は利益率のとれる本業に選択/集中という方法もある。

すべての人がたくさんお金をもらえる仕事が幸福だと思っているわけではない。 給料が少なくても、家族と過ごせる時間、趣味に打ち込む時間があたえられているならば搾取ではない。 このような仕事は、積極的にワークシュアリングをし、短時間労働を選べるようにする。 お金より時間が大切だと思っているのはその人の生き方であるので、女性だけではなく男性も希望すれば その職種を選べるようにすること。65歳以上の人間に仕事をあたえることは社会に対する奉仕であろう。 本人の希望で働き方を選べること。労働の多様化だ。

同一労働・同一賃金

この言葉には、よいレッテルを持った人間はあまり働かなくても高給をもらっても良いという意味が込められている。正社員(あるいは経営者)になっている人はそれなりの努力をしてきた人だから、社会的責任があるからたくさんお金をもらうのは当然だという主張だ。しかし顧客の立場に立って考えてみてほしい。部長が率先してやった仕事だから、平社員がやった時の2倍の料金を請求しますと言われたらどうだろう? 平社員にやってもらった方が1/2の料金になるのだから平社員にやらせればいいじゃんとなるはずだ。部長にやらせた方が2倍ぐらい価値のあるすばらしい商品を作ってくれるならば2倍の給料の部長にも仕事が来る。お金を払うのは顧客だ。重要なのは役職ではなく仕事の成果である。市場原理とはそういうものだ。必要なのは同一成果・同一賃金である。

社長や部長のレッテルを持っている人が社会的責任があるのかは疑問だ。最近、倒産寸前の大手企業があるが、果たして社長や部長の降格はあっただろうか? みんな都合の悪いことは隠し、自分のレッテルを守ろうとする。責任を果たしていない。

正社員は長い間努力をしてきたからたくさんお金をもらう権利がある? 派遣やパートでも正社員とおなじぐらい、いやそれ以上に長期間がんばってきた人もいるが正社員と同じ給料をもらえているだろうか? 不況になった時に首を切る予定の人間だからといいスズメの涙ではないだろうか? 実際に大手企業の正社員の働きぶりを見ていると危機感がなくダラダラとやっている人が多い。自分はさぼっても正社員だから切られる心配がないと慢心している。派遣の方はサボっていると切られるので一生懸命仕事をしているように見える。

ようは一度、利権を手にした人間が必死でその利権を守ろうとしている。正社員でも派遣でもさぼっている人もいるが、努力している人もいる。役職というのは価値にはならない。会社に人を縛っておくためのツールにすぎない。レッテルにこだわってはいけない。レッテルに惑わされないで成果をきちんと評価することが重要だ。

最後に

日本は年功序列である。 若いから、女性だからといって、同じ成果で給料が安くなってしまうのは不公平がある。 日本には下剋上が必要。成果が出せなければ給料が少なくなってしまったり、降格も必要であろう。 成果を給料に反映させているといっても20年後、30年後ではグローバル化についていけない。 管理職に評価をさせているといっておきながらその評価は年齢や勤続年数でエスカレータ式になるように評価をつけていた (後から入ってきた人間が高い給料をもらうとブーブーいうから:つまりことなかれ主義)。 そんな評価のつけ方では実質的に年功序列と等しい。 そもそも「このような計算をして評定がいくつになったからあなたの給料はいくらです。」といったことが隠蔽されている。 どのように評価したか透明性が無いのではほんとうの成果主義にはならない。 情報を公開し、経営者と労働者が交渉をすること。

日本の年功序列というのは、人を企業にしばっておくためのシステムだ。 人を教育するのはコストがかかるから、建前では転職の自由があるとしておいて、転職すると今まで積み上げた給料水準や役職が失われる。 どこの会社も年功序列であるから、転職すると大損するぞとおどしをかけているわけだ。 日本の企業で教育といっているのは全ての人に「同じ仕事の仕方」を強要することを示しているようだ。 特定の企業内部、特定の部署内部でしか通用しない慣例にこだわりを強く持っている。 どこの会社でも通用する、技術的なことやコモンセンスについては教育コストをかけたくないようだ。

上司が昔、実務をやっていた頃、成功した手法が安全なのでその方法を強要するとか、 みんなと同じ手法で仕事をしていれば「努力したのだから失敗しても許してもらえる」とか、 そんな考え方から、同じやり方に執着し、その教育コストを掛けすぎている。 諸外国では人材流動化が前提なので「同じ仕事の仕方」にコストを掛けない。 日本も「同じ仕事の仕方」にこだわらないで成果を評価することに工数を掛けるようにするべきだ。

技術的な知識、コモンセンスの部分は自宅で学習できるわけだから、成果を出せば給料を上げ、 自主的に自宅学習をするようにしむければ良い。 (会社から課題をあたえ、強制的に学習させる場合はその分の残業代を支給する必要が出る)

確かに人間の考え方や生き方はすぐには変わらないものだ。 だからこそすぐに行動を始め、少しずつ、段階的に成果主義に移行する必要がある。

2015年8月31日月曜日

チャレンジという名のパワハラ

会社が大きくなると、現場と経営の間に乖離がおこり、拝金主義になってしまうのはよくあることだ。 ただ某社は日本を代表するような会社であったため、マスコミからバッシングを受けているようだ。

チャレンジという名のパワハラ

「ブラックか、ホワイトか」はどのような基準で考えれば良いだろうか?  現在、事業が黒字であるにかかわらず経営者が強欲にとらわれて、労働者を脅し、1円でも多く儲けようとしているのであえばブラッグ。

事業が赤字で、改革を行おうとしている。事業を改善するためにどうすべきかを論理的に話し合っているのであればホワイトだ。 もちろん、現場にだけにつらいことを押し付け、経営者は文句を言うだけで何もしないというのはいけない。

パソコン関連の事業は低価格化がすすみ、事業を撤退する企業が目立つ。ほんとうに黒字化は可能であるのか、具体的にどのような改革をすべきか? もし将来性がないのであれば事業の方向転換が必要だ。

なぜなら利益率の低い仕事を惰性で続けて、残業時間を増やせば何とかなるというのは、ワーキングプアを増長させ、労働者を不幸にする。 転属、転職がいやなので惰性で仕事しているだけではいずれ会社は疲弊し継続不可能になるであろう。

会社は、家族ごっこをする場所でも、遊びに来る場所でもない。ビジネスを行う環境である。 「パワハラになってはいけない、かといって甘えになってもいけない。」

トラブルになる背景には、経営者と現場が本音で話すことができないというのがあり、それが人を不幸にしている。

経営者はどのぐらい儲かっている/赤字なのかは隠したがる。 事業が赤字になってしまった場合、もっとも責任が重いのは経営者であり、あまり悪い状態だと自分のポストが危なくなる。

成果の出せない経営者、適性のない経営者がイスにしがみつき続けることは回りに不幸をばらまく結果になってしまう。 経営者や管理職にも人材流動化は必要なのだ。 グローバル化が叫ばれる今日、海外から実力のある経営者に来ていただくというのも良い方法だろう。

日本では、人材流動化を極端に嫌い、前例のないことはダメだと言い、出る釘は打たれる。 チャレンジとは今まで経験のなかったことに対して、勇気をもって実行する、改革すると言うこと。現場だけに苦労を追わせるのではなく、経営者、管理職、現場が等しく負担をし改善してゆく。

「チャレンジはパワハラの別名であってはならない。」

補足説明: 管理職とは、給料をもらう側の人間ではあるが経営者と一体になって、経営者に代わって 労働者の管理や評価を行う人間。一般的には課長以上で経営者を除く。 経営者とは、労働の提供を受けて、給料を払う人間、株式会社においては代表取締役の肩書きを持つ人間。株式会社には3人以上いるはず。

なぜ会社が大きくなると搾取がひどくなるのか

社長がみんなといっしょの部屋で仕事をしていたころは、 あまり無茶なことを言えばみんなが聞き耳を立てているので言いにくいだろうし。 部下が反論しないまでもどのぐらい怒っているかは顔色をみれば分る(ようは空気を読むことができる)。実現不可能な命令をしておいて自分だけ先に帰ってしまえばそれが見え、反感を買うのであまり非人間的な命令はしづらいだろう。 この時代は、みんな一緒に仕事をする仲間「家族みたいな会社が良い会社」「みんな一緒」といった雰囲気が存在している。

会社が大きくなると、個室を作ることができ、都合の悪いことを隠すようになる。 次第に経営者は神様のように祭られ、本人も神様を演じるようになる。

現場と経営者がはなれると、相手の表情が見えないので、非人間的な命令をしても平気になる。 直接手を汚さず、管理職に搾取をさせるわけだから、どのぐらい苦しんであるかわからず罪悪感を感じない。 神様は、「みんなとは異なる存在」、庶民とは異なるので搾取しても許されると気持ちが変わってくる。

管理職の間では、交渉をしないでゴリオシが日常になってしまうと、回りがやっているから自分もやってよい。罪悪感がなくなり、それが社風/社内文化になっていく。

第三者での調査や内部告発

ROEとは株主資本が、企業の利益にどれだけつながったのかを示す。 日本では経営者が会社を私物化し、株主からの助言を極端にきらいROEの考え方がない。 会社が健全に機能するためには外部からの目が必要。 第三者での調査や内部告発などをもっと活発にすべき。

労働組合に加入するのであればユニオン(特定の企業にとらわれない労働組合)にすること。 経営者と労働組合の代表が同じ会社に属していると癒着や脅しによるコントロールをうけてしまう。 労使協調というとかっこいいが、実の所、特定の人物が甘い汁を吸うだけになってしまう。その会社で働く全ての人が公平に幸せになれることが重要。 公平に幸福になれるとは、全ての人の労働時間と賃金を同じにするということではなく、各個人が自分の意思で働き方、生き方を選択でき、 成果にみあう賃金を受け取るということ。

大学病院での拝金主義

患者からすれば、命を預かる仕事なのだから拝金主義などとんでもないと思う。しかし組織が大きくなるに従い、経営者と現場が乖離し、お金儲け優先になってしまうというのは同様なようだ。

大学病院にいくと2時間待って3分診察、というのはよくある。 医者が不足しているうえ、患者が大きな病院の方が安心できると思い、大学病院に集中してしまうというのがあるだろう。

医師は短い時間でたくさんの患者を見なければならないので、まるでベルトコンベアーで工業製品でも作るようなあつかいになってしまっている。

しかし病院の求人を見てみると、事務、保育士、看護士の求人はあっても医師の求人はない。正社員で終身雇用にしなければならない人間の雇用を制限しているようだ。

たとえば痔の場合、 1度診察しただけで後は来なくていいよと言われてしまうことがある。 患者としてはちゃんと治療してほしいのだが、病院側は儲からない仕事、やりたくない仕事はやらない(医師が患者を選ぶ)ようだ。

医師は患者とのコミュニケーションが重要といわれるが、 この基本的なことができていない医師が多い。 症状を説明してもそんなことはないと否定する。 血液検査の数値は客観的なデータで信頼がおけると思うのだろうが 症状の出方には個人差があるので数字だけではとらえらず、患者を直によく観察すること、話を良く聞くことが大事である。 それに検査の数値というものは病状のある側面を表しているだけで 検査していないパラメータ(あるいは数値に表れないパラメータ)があるということを忘れてはならない。

病気の治療とは、そんなに予定どうりに進むものではないし、現代医学をもってしても直らない病気は沢山ある。 仕事がうまくいっていないと上司からおこられる、治療がうまくいっていないことを隠したい。 そのようなところは一般のサラリーマンと同じなようだ。

投薬は、同じ病気でも病状や患者の個人差で変わってくる。 医学の進歩に伴い新しい薬は沢山出てくるので薬の作用きじょ、有効成分、禁忌などを学習するのは大変だ。 医師と話していると、薬に対して知識が不足していることが多い。 インターネット検索でもわかる内容なのだが、短い時間で沢山の患者を処理することが優先、学習/教育がおろそかになっているようだ。 現在は、医師と薬剤師で二重チェックすることで副作用を防ぐシステムとなっているが、最新の情報を勉強しようという心構えがない限り、 二重チェックをしてもいたずらに作業工数を増やすだけになってしまう。重篤な副作用とまではいかなくても効かない薬を飲まされ続けていることはよくあるのではないだろうか。

話は変わるが歯医者は、患者の数に比べて病院数が多すぎる。 それに対して外科(整形外科を除く)は非常に少ない。 外科と言うのは、手先の訓練が重要で、失敗すると患者から訴えられるリスクがある。 だからなのだろうか特に外科医になるのは敬遠され、外科の病院も少ない。

外科(特に手術に対する)医療報酬を上げたらどうだろう。 それに対して歯科医は訴えられるリスクが少ないので医療報酬を少なくしても良い。 リスクや手先の訓練に対してもお金が支払われるべきだ。でないと外科医になろうという人がいなくなってしまう。 そのようにして医師に数のバランスをとる案はいかがだろうか?

女性の管理職、義務化

日本では男女差別が先進国の中でもっともひどく、女性の管理職が少ない。 今後「大手企業に対して女性登用に向けた数値目標を作り公表すること」が義務づけられるそうだ。女性が活躍の場を広げられる反面、女性自身が反発することもあるようだ。

管理職になると残業しなければならないので、子育てと仕事の両立はできなくなるという趣旨らしい。

一律の数値目標ではなく、各企業ごとに自分たちで目標をきめてそれを開示させるというのは良いやり方だ。 各企業ごとに事情がちがうのに無理な目標を押し付けると、「実際に管理職としての仕事をしていないのに役職だけあたえるなど」数字あわせだけをするという企業がでてくる。これでは意味がない。

女性管理職を増やしたといっても総務部だけというのでは問題があるだろう。 エンジニアの仕事も女性が少ない職種だ。各部署ごとの女性管理職の割合とか、女性エンジニアの割合なども公開させると良い。

就職時の男女差別も是正すべきだ。 部長ぐらいになると、自分の隣におくアシスタント(主に総務的な仕事をする人)を自分で選ぶことができる。

選ぶのが男性であるため、 就職の時には「若くて可愛い女性が良い」という基準で選んでしまい、 仕事の能力を見ない。就職に有利だと思って資格を取っても外見で選ばれてしまうというのは女性に対する侮辱だ。 残業なしの事務の仕事は、女性をターゲットにしているため男性が応募しても採用されない。求職票には女性だけとは書いていないが実際に男女差別が行われている。

30才で寿退職をするのが前提。それは部長にとっては新たに若い部下を手に入れることができるので都合が良い。

40~50代で仕事に復帰できないのは、女性は「職場の花」であり成果を求められないから。 女性であっても給料をもらっているのであればプロだ。 勤務時間中は、女性だから男性に甘えて良いという考えは捨てるべきだろう。 アフター5に男性に甘えるのはその人の生き方なので私は言及しない。 残業をできないのであればワークシェアリングをし、回りに迷惑を掛けないで成果を出す。 そうでないといつまでも男女差別はなくならない。管理職側も労働の多様化に勤め、女性にチャンスを与えるようにする。

問題なのは男女差別が法律で禁止されているのに実際の現場では公然と行われてしまっていること。労働者が働き方、生き方を選べない、会社の都合できまってしまうことであろう。

これを解決するには成果主義と労働の多様化が必要であろう。 たとえば共働きでかつ子供を双方の親で育てたい場合。 両方の親が短時間労働を選択し、一方が早番、一方が深夜勤務にすれば良い。現状では短時間労働の仕事はほとんどなく、フレックスタイムや在宅勤務もあまり普及していない。

仕事の成果を見ないで女性だからという理由で、不当に賃金が少ない。 これは女性が子育てをし、男性は会社に人生をささげなければならないという考えに基づく。 男性が子育てをし、女性が会社で働くと言う選択肢もあって良いはずなのだが、実際にそうすると所得が極端に少なくなってしまい、実現が困難だ。

必要なのは保育所、保育士を増やすことではなく、労働の多様性、ワークシェアリングの普及、そして成果主義だ。

家庭で教育するより、学校でまとめて教育した方が工数が少なくてすむというのは経済優先の考え方。 まわりの人の気持ちがわかるやさしい人間になるには、子供のころに回りから愛される経験が必要。こころの余裕をもって親と子がマンツーマンで触れ合う時間が必要。

教育といっても、一律に同じことを教えればいいこと、たとえば社会の規範を教えるとか単に暗記する学習などは学校の方が効率的であろう。 1人の人間として大切にされる(愛される経験)というのは「一山いくら」的な扱いではできない、1人1人向き合って個別に話すことが必要。 学校で教育した方が効率的な内容と家庭や親族でないとできない内容がある。

学校や保育園に教育をまかせてしまい、親はペットを可愛がるように子供を甘やかすだけでは、親や先生の言うことをだまって聞くだけ、自分の気持ちを言葉にできない人間になってしまう。 積極性のない、交渉のできない人間になってしまう。 親や先生の言うことを納得をしていないで、がまんするだけなのでストレスがたまり、受験の時に壊れてしまうかもしれない。 親や先生の見ていないところで弱いものいじめでストレスを発散しようとするかもしれない。

ペットは従順であれば、飼い主に可愛がられ、一生飼い主に食べさせてもらえる。 人の子は将来自立し、社会に適合し、自分で生活費を稼げるようになる必要がある。 「社畜」という言葉ができたが、これは人の子であったはずが、会社のペットになってしまったという現代を象徴する言葉。

愛された経験が少ない人間はまわりの人に対してもやさしさを持つことができないので、大人になってお金儲け優先の考え方に洗脳され、 弱い人間から搾取し自分だけ得をしようという人間になってしまう。

親と子が接する時間は、お金にはならないが、お金にはかえられない人が幸福になるために必要なことだ。

だから保育園を増やせばいいということではなく、短時間労働やワークシェアリングを普及させて、愛情をたっぷり与え、 ただ甘やかすだけではなく将来自立できるように、どのような職種がむいているか(適性)、仕事にはつらいことがあるがそれと向かい合っていかなければならないこと、回りの人に対する思いやりも教える必要がある。

情報公開の義務化

またも弱腰の政界(それとも癒着があるのだろうか?)、女性管理職比の公表も義務づけない方向という話も出ている。少なくとも現状の開示は義務化すべきだろう。それから行政が仕事の発注をする際には、男女平等、労働法を守っている会社を優先すべき。

現状の男女比や残業時間は、自社のwebで公開させる、ハローワークで求人するときに開示する。派遣会社で求人をするときに開示する。口頭ではなく書面で手渡す。開示しないで仕事を紹介した派遣会社には罰則。

話し合いはオープンでさまざまな立場の人間が参加しなければならない。 ルールを決めるときには、政治家と経営者だけでなく労働組合の代表、派遣やパートを含めて議論すべき。 男女平等にするためにもっと良い案が提案されたのか? 男女平等は必要ないのか? 正しいことを言っているのであれば隠す必要はないだろう。 そしてなぜそのような結論になったのか理由の説明、話の流れなど開示すべき。

2015年7月12日日曜日

地方創生のためにすべきこと

地方創生のため何をするかという問いに対して、農業、観光との話がある。はたして農業、観光だけで地方の再生はできるだろうか?

東京と地方の格差拡大

東京への経済、人の集中は問題がある言われてきた。 道路の渋滞、自動車事故の増加。駐車場・駐輪場がない。狭い家、家賃の高騰。地方の過疎化。

リーマンショック後の不況で、さらに、地方自治体の財政難、東京では人手不足だが、地方では仕事がない。大手企業(大都市に集中)は回復したが、中小企業には光明がない。

なぜ東京と地方の格差が拡大するのか?

地方に生まれても就職する年齢になると東京の企業に就職してしまう。 地方自治体からすると、いままで「子育て支援」で一生懸命世話をしてきたのに稼ぎ時になったら東京にとられてしまう状況だ。

いなかでは仕事がない、若者向けの商店がなく、魅力に欠ける。 生活必需品は入手可能だが、老人向けの安価なものばかり。 商店にしてみれば老人が多いのでそれに合わせた品揃えになっているのだが、それが若者が定着しない理由にもなっている。 若者が東京を希望しているので、企業もいなかで人材を集めるのが困難、東京にしか事業所をつくらない。 こんなのが「負のスパイラル」になって地方の空洞化が進んでいる。

先端技術に関する特区を設ける。

地方に新しい「特区」を設け、新卒や引越しをいとわない人を採用するのはどうだろうか?  もちろん若者向けの商店、交通を含めて整備する。

特に先端技術に関する仕事を増やす。 自動車産業と医療機器は国が重点産業分野として取り上げている。 自動車関連の先端技術、先端医療機器、遺伝子工学、分子生物学など。

ただし工場労働者などのうち単純な仕事は、アジア新興国と競争しなければならないので不利である。 工場の仕事にするのであれば大幅なロボット化(無人化)を推し進め、自宅からロボットの管理ができるようにする。 設計・開発など10年先で会社が存続するためにやるべきことにしぼる。

難病や発生頻度の低いガンなどの医療も国が重点分野として取り上げている。 自己免疫疾患などは現代の医学でも治療が困難。ストレスによるうつ病や心身症なども定量的にとらえることが困難な病気だ。これらの病気は健康診断では発見するのが難しく、会社のパワハラが原因で病気になったことを証明することが困難、裁判を起こすことができず泣き寝入りになってしまうケースが多い。

これらが解明されれば会社側の責任が明確になったり、難治療性の病気がなおるかもしれない。

今まで日本では目先の利益の仕事ばかりをしてきた。これらは新規事業になるので、新しい事業所を作るきっかけにもなるであろう。

先端学園都市計画

それから学園エリアと先端企業がすぐ近くにあるのが良い。 医療関係/先端エンジニア系の学生が近隣の企業に就職しやすいようにすれば人材が定着する(せっかく育てた人材を東京にとられることがない)。 学生時代にその町の良さを実感し、そのままその町で就職したいと思わせること(若者が行く商店や道路の整備がされていること)。

日本では、アルバイトは本業に差しさわりがあるので良くないイメージがある。しかしアルバイトは実際に就職予定の会社の雰囲気、あるいは業界のことが実感できる。会社案内をみたり、面接の時に話をするだけでは本音を話さないので分らないからだ。

生徒も面接官も自分の恥になることは話さないが、一緒に仕事をするようになると、いやでもそのことに向き合わなければならなくなる。 人材適材適所のため、そして人の定着にプラスとなる。

日本人は終身雇用で転職の経験が少ない。 教師は企業での実務経験がなく、学生からいきなり教師になるので企業の現場を知らず、実務で何が必要か分らないのでトンチンカンなことを教えてしまう。

教師もその企業にアルバイトに行ってよいことにする。 企業のプロジェクトリーダが特別講師として実務に則したことを教えるのも良い。 そのようにすることで学校から企業までの人材移行をシームレスにすることができる。 日本人はコミュニケーション能力ゼロであるので実際に見てくるのが一番効果的だ。

教育の多様化

日本では生徒は平等に扱わなければならないという理由で、飛び級、留年はほとんどおこなわれていない。 何回も留年すると能力の低い人間のように見られてはずかしいとか、卒業するまでの授業料がかさむところがいやということなのであろう。

平等とは、人間としての価値に差異はない、みんなが等しくチャンスを与えられるという意味だ。人間には個性があり、能力には大きな差異がある。留年したらダメ人間だという発想こそがおかしいのではないか?

ほんとうに勉強したいと思うのであれば大学を2年で卒業する人と8年で卒業する人がいて良い。日本では全員が同じにならなければならないという思いが強すぎて、ある人はもっと先に行きたいと思って才能をもてあまし、ある人は授業の内容を理解できないまま仕方なく進級を許可される。能力にそのぐらい大きな差異があるのであるから、納得するまで勉強し、それぞれのスピードで卒業すべきではないだろうか? 

ほんとうに使い物になる人材を送り出すことが重要。

ある科目で悪い点数をとってもどこか他の科目で優秀な成績を収める ことができるはずだ。日本では多様性が否定されてしまい、全ての生徒が同じカリキュラムを受けなければならなくなっている。選択授業をもっと増やし、各自が得意な分野で才能を発揮できるようにすべきだ。もっと多様性、個性尊重の教育。

赤点をとったら居残り・補習。なぜできないんだと言われる。 これは全ての人が同じならなければならないという思想、個性は認めない。これは自尊心を傷つけられるだけ。苦手な部分を責めるのではなく、得意な所をほめ、才能を伸ばす教育が望ましい。

家が貧しくて大学に行けない人に、優秀でやる気があれば、奨学金を出す制度を増やすべき。 日本では勉強をしたいのではなく、まだ就職したくない、遊びたい。 単に卒業証書(レッテル)がほしいから大学にいくという人が多すぎる。

企業がレッテル(どこの学校を卒業とか、年齢、性別)で判断し、成果を見ないがゆえにそのようなことになっている。

企業の分散化

各都道府県ごとに何か得意な業界を設定してその関連企業を集めた特区を作るのが理想だと思う。 日本はケイレツで仕事をしているのでケイレツ毎に1つの場所に集めてしまえば輸送費が少なくなる(製造業では部品の輸送にコストがかかる)。 ただ既存の事業所を移動させるのは、従業員が引越しをいやがるのと、設備投資がかかるのですぐには実行するのは難しいであろう。

働き方の多様化(在宅勤務、ワークシェアリング)、成果主義の普及

働き方の多様化、成果主義の普及が急務である。 たとえば定時で終了できる仕事、短時間労働、ワークシェアリング。 そうすれば65才以上の高齢者、身体障害者、小さな子供のいる親などが働くことができる。

社会福祉にお金がかかってしまうのは本来、働けるはずの人間が経営者の好き嫌いで仕事が与えられないからだ。

給料の金額を成果で差をつけると多い・少ないとひがむ人が多い。 なので勤続年数・年齢で時給を決めている。 成果の多い人と少ない人で4倍以上の差があるのに、時給が同じでは経営者が損をしてしまう。 損をしそうな人をレッテルで判断し、避けている。

成果主義にすれば、成果の少ない人は給料が少なくなるので損しなくなるはず。ハンディーのある人でも働けるようになれば社会福祉の出費が節約できる。 必ずしもすべての人がお金が幸福と思っているわけではなく、自分の時間を持てることが幸福だと思っている人もいるのだから。

ITの技術を利用して在宅勤務の普及も必要。 会社に出勤させて監視していなければさぼるのではないか? という不安がある、あるいは本音を言葉にできないので常に回りの人の顔色を伺いながらでないと仕事ができない、という理由でわざわざ出勤させているのは非効率。成果主義にすれば、在宅勤務もしやすくなるであろうし、36協定とか、残業時間とかを気にしなくても良くなる。 通勤にかかる時間(と交通費)は、利益を生み出さない「無駄」である。 このような無駄をすれば、会社・従業員いずれかがその負担を必ずしなければならない。さぼるのではないか?という不安(あるいは一番ダメな子に合わせてルールを決める護送船団方式)で多くのコストを無駄にするのはいかがなものだろうか?

年功序列の社会は、若者の夢や希望をないがしろにしている。 いくら成果をだしても若いからという理由で給料をもらえない。 プロの仕事は成果が重要。年齢や性別、勤続年数、残業時間はどうでも良い。自分より若い人間が多くの給料をもらうのは悔しいと思うだろうがそれは必要なこと。「誰でも成果さえだせればその金額をもらうことができる」のだからひがまないで努力すること。 努力と言うのは、やる気がないのに深夜まで会社に残っていることではない。

農業と観光

農地改革はたしかに必要であろう。 ただし、それだけでは、人件費の差異や連続した広い耕作面積などは 完全に同じにすることはできない。外国の農業を比較、研究するのは良いことだがそれだけではなく、日本の文化、土地に合わせた改革が必要。同じやり方をしないで新規事業に対して積極的にチャレンジする。

日本では稲作にかたよりすぎている。米は減反しなければならない方向であるので、今まで栽培されていなかった作物にチャレンジすると良い。日本料理では使われない食材では消費者はどう使って良いかわからないのでレシピを提案する必要がある。 ファミレスで定期購入してもらい、その食材のフェアをやってもらうようにすると知名度があがる。 すでに多く使われている食材はすぐにお金にはなるかもしれないが、その分競争が激しく利益率が低い。 新しいことにチャレンジする精神がほしい。

農業の高齢化に伴い、休耕田が増えている。これを若い人に貸し出し、試験的な農業に活用するようには出来ないだろうか?  農業には未来がないと思われているので若者がやりたがらない。 そのような意味でも新しいことをし、未来があることを知ってもらい、改革を行う必要がある。

なにも食料品や園芸植物だけが農業ではない。植物からバイオ・メタノール、代替石油、水素を作る。遺伝子組み換え作物による飼料とか、 最近の遺伝子工学、分子生物学の成果をあますところなく産業に応用。 植物から医薬品を作るなども開拓の余地がある。ロボット化も必要であろう。面白そうな開発テーマは沢山あるではないか。 最先端の技術を用いた、ベンチャー企業が多く立ち上がることを熱望する。

高齢者の仕事で農業が適しているというのは、今まで行政が農業を厚く保護していたからで、これからは自由競争をしなければならなくなるのでそうは行かない。高齢者の仕事を確保するには、業種に関係なく、ワークシェアリング、労働の多様性、生き方の多様性を選択できるようにすること。

観光については、東京オリンピックで潤う地域もあるだろう。 しかしどのぐらいの経済効果があるかはその地域ごとに大きな格差が発生する。オリンピックの効果は期間限定なのであくまでもきっかけと考えるべき。永続可能な事業、10年先の地方のありかたを考えていかなければならない。

誰がお金を負担するか

誰がお金を負担するか、いくらかかるかを先に議論しようとすると、多くの人が反発し、話がまとまらなくから、初めはどんなことをし、どのような効果があるかを議論することから始めるのが良い。

ただ実際に改革を実行するには具体的な項目、誰がお金を負担するか、いくらかかるかが必要になる。後者をはっきり決めなければ、改革は実行されないことを肝に銘じておくこと。

2015年6月22日月曜日

自転車業界の衰退

自動車業界は、不況でも強い競争力が維持しているのに、なぜ日本の自転車は衰退してしまったのか。

日本の自転車屋の状況

日本製の自転車は、海外で製造されている自転車におされて売れなくなっている。 過去には強い競争力を持っていながら、現在負けている分野という意味では家電業界と似ている。

ケイレツに縛られて海外の自転車を売ることのできない自転車小売店では「海外製の安価な自転車の修理をいやがる」所があるそうだ。 新品の自転車を買うときには、量販店で安価な自転車を買うくせに修理のときだけうちにもってくるというねたみがあるのであろう。

また逆に積極的に修理を収入源としている自転車屋もある。 新品の自転車が売れない、販売で収入を得られないので、初めからパンク修理を収入源として考えている。

ほんとうに自転車は売れない商品なの

国民が裕福になっていくと自転車から自動車に移行していく傾向がある。反面、海外の自転車事情を見ていると縮小どころか、拡大しているところも多い。 スポーツタイプの自転車が使われないのが日本の特徴だ。

自転車が売れなくなったのは日本人が裕福になったからだろうか? 科学技術が進めば、自動車の方が楽だから自転車は駆逐されてしまう商品だとあきらめてはいないだろうか? 自転車は、自動車にとってかわられる商品なのか?

自転車業界にたずさわる人間が、自転車を愛しているか? 通勤や休日のスポーツ、買い物などに自転車を活用しているか? 安易に自動車を使っていないか?

自転車のメリット・デメリット

自転車には自動車にはないメリットがある。 CO2、NOXの削減。健康志向、生活習慣病対策、ダイエットにも良い。

中国では、自動車の増大が著しく、かつ大型を好み、排気ガスの規制ゆるい車が多い。大気汚染が問題になっており、多量の有害物質が日本まで風で流れてきている。 もっと自転車の利用を推進すべきではないだろうか?

それではなぜ日本人は、自転車より自動車なのだろうか? 自動車の方が楽で早いからということもあるだろうが、 自動車優先の道路になってしまっていることが大きいかもしれない。

駅の周りでは、邪魔者扱いされている自転車(駐輪場がない)。 法改正で歩道を走れなくなった、車道も危なくて走れない。

スイスなどでは、以前から自動車優先ではなく自転車優先の社会をつくってきた。自然・観光が大きな収入源であるために、騒音や排気ガスを撒き散らす自動車が優先ではせっかくの雰囲気がだいなしだからだ。そのような努力を日本では行われていない。

環境の整備、スポーツとしての啓蒙

地方自治体によっては人口が少ないために電車を通すことのできない 地域がある。そのことを積極的に逆手にとって、自転車を観光の目玉にしようという動きがある。

たとえば、 給水・空気を入れるポイントを作る。   [既存の店舗、観光案内所を活用すれば、わずかな費用で実現可能]

自転車の利用が便利であることを海外・観光客にアピール。   [自転車利用に関するパンフレット、webの作成] サイクリング・ロード、駐輪場の整備。 狭くて、くねくねした道路の改善(安全性)。

日本では道路やインフラより先に家を建ててしまうのでどうしてもくねくねした細い道に自動車専用の2車線を作り 歩行者や自転車が通るスペースがなくなる。 一度完成した道路を何回も掘り起こしているのを見かける。 予算があって先に道路を作ることができないのだろうが、 都市計画を先に作り道路予定地には家が建てられないようにしておくべき。

すでに道路を作ってしまった所は対応が困難だ。 自動車優先になっている場所を歩行者や自転車が通れるように1車線(一方通行)にしてしまうのはどうだろうか。 あるいは駅前周辺は、日中自動車通行禁止にして、夜間だけ自動車の進入を許可する。 駅前の道路は、狭い上に多くの人が集まる。そこに制限速度を守らない自動車が入るのは大変危険だ。 それに自動車は1人しか乗っていなくても、通行や駐車に広いスペースを使い非効率だ。 たいした距離ではないのにすぐに自動車を使う人が多いのは、地球環境にとっても良くない。 自動車より自転車の方が使いやすい環境を作れば、自転車を使う人が増えるはず。

東京では、オリンピックに向けて環境にやさしい都市として自転車が注目されるようになってきた。 自転車業界にとってはビジネスチャンスであるので思い切った改革を実行し、自転車が利用しやすい町作りを進めるべきである。 道路事情改善を行政にリクエスト。 地方自治体とメーカー、販売店、自転車協会が協力をしてイベントを開催するなど組織を超えた協力関係が必要である。

新しい価値の創造、スポーツとしての啓蒙も考える。 通勤に自転車を使うなどをトレンドにしていくと良い。

たとえばこんなイメージはどうだろうか? 自動車を自分がお金持ちであることをアピールする手段であるならば、 その利用者は、大型車に乗り、指に大きな貴金属をつけ、お腹がぽっこりのイメージ。

自転車は、地球環境のことを考え、自分の健康管理にも余念がないスマートな人。 スマートというのは本来、やせているという意味ではなく、知的、理性的、効果的、あるいは おしゃれできびきびしたという意味。 日本では低価格自転車(ママチャリ)の比率が高いので、自動車を買えない貧乏な人が乗る乗りものであるというイメージになってしまっているのではないだろうか? スポーツタイプを低価格帯に近づける努力が必要。

ケイレツに引きこもるな

自転車業界が衰退してしまったのは「ケイレツの功罪」が大きい。 なんでも大手企業が判断してくれる。中小企業には決める権限がない。 海外の事情に無頓着になってしまう。 地元住民にしか販売してないと言っていても、実際に海外からの商品は入ってきていていやでも競争しなければならない。 今は自由競争の世の中なので日本だけ鎖国をするわけにはいかない。

ケイレツ以外の商品をあつかってはいけないと言っておけば高くても買ってくれるだろうと思っているのだろうが、今の消費者は価格に敏感であるのでなかなか買ってくれない。

おおいに競争をしてよい。経営者なら、ひがまないで自分で判断、選択し事業を行う。ケイレツにこだわらず海外の商品も良くて安いものを探して、新しい販売経路の開拓を常に心がける。 中国や台湾のショーに行って、新しいビジネス・パートナーを見つけると良い。

ケイレツ・システムでは製造と設計が同じ国になければならないとか 海外に工場を作る際に、日本の資本で工場を作り、日本のやり方を強制しなければ事業ができないとなってしまう。 それでは変化の早い、グローバル市場で勝負はできない。 資本関係のない会社にOEM供給を受けたり、やり方を強制するのではなく、規格をしっかりし、結果を評価するということをやるべきだ。

設計/開発だけ日本国内で行い、製造はアジアで行い、ブランドは日本というビジネス方法もある。 日本は人件費が高いのだからより利益率の高い仕事だけに選択/集中するということ。自転車以外の業界に進出するのもよいだろう。とにかく失敗を恐れず、チャレンジ精神だ。

技術改革が必要

自転車は機構が単純であるから差別化できない? 人件費の高い日本で製造するのは不利なのだろうか?

マイコンやソフトウェアでおまけ機能をつけて、高く売ろうという戦略は家電業界で失敗しているパターンだ。 スポーツタイプを買ってもらう工夫、それをコストダウンする工夫が必要。

改善案はいろいろ考えられる。 ロボット化、人が介在することなく多くの機種を1つのロボットで実行 できるようにする。 プログラムの書き換えだけで少量/多品種の生産、極限までの人件費節約。 ただしパワハラにならないように、ワークシェアリング。 自宅勤務の採用、女性エンジニアの活用、ITの活用。

今までは工場に出勤させなければ仕事ができなかったのは、 勤務場所に出勤させて見張っていなければ「さぼるのではないか」という心配があったため→成果主義にすれば良い。 ITを使えば自宅のPCからロボットを管理できる。 ロボットが頻繁に停止する、機種の切り替わりに人手が必要、100%自動化できない、手作業で製造しなければならない所がある →産業用ロボットの完成度、信頼性、柔軟性に問題。

新しい価値をもった自転車の創造。 なにも電動自転車だけがアイディアではないだろう。 もっと創造力を働かせるべきた。

2015年4月13日月曜日

労働法改正と成果主義

最近、行政は「成果主義」を日本の競争力強化のために推進しようとしている。 労働者が幸福になるための「労働法改正」がどうあるべきか考えて見た。

弾力的労働時間制度とは

新しい労働時間・給料計算方法は以下の6種類が想定されている。

  1. 通常の労働時間制
    原則8H/日、8Hを超える場合は36協定を作成する。従来どおり労働時間。
  2. 変形労働時間制
    忙しい時期、暇な時期がある場合に使用者が労働時間を計画する。
  3. フレックスタイム制
    始業・終業時刻を労働者が自己管理する。(基本的に社内での仕事、残業代あり)
  4. 業場外みなし制
    外回り営業など、労働時間の算定が困難な場合。 始業・終業時刻を労働者が自己管理する。
  5. 専門業務型裁量労働制
    設計、開発、ライター、記者。※残業代なし?
  6. 企画業務型裁量労働制
    事業の運営に関する仕事。

残業代0法案として反発されているのは5)専門業務型裁量労働制である。 もし施行するのであれば始業・終業時刻を労働者が自己管理し、残業を強制しないこと、やり方を強制しないことが明記される必要がある。それがなければ単なる残業代の未払いと同じ。

上記6種類の働き方に分けるのであれば、職種の分類方法が明確になっていること、実態と一致していることが必要だ。しかし実際問題として労働契約に書かれている内容と実務が異なっている(経営者の都合の良い内容の書類を作成する)ので機能しないであろう。

6種類の働きに分類するのではなく、次のルールが望ましい。

残業を強制しない

同じ労働時間であっても仕事の仕方により、受けるストレスが大きく異なる。 1日8Hであってもまじめに仕事をしている人や、やり方を厳しく規定されてしまっている職場ではストレスが大きい。これは職種では決まらない。そこの管理職の性格による。 夜遅くまで会社に残っていても会社で遊んでいるだけの人間ならストレスはない。

以下のことが厳守される場合に限り、残業代はなし(成果主義)にできることとする。そこを明確にする必要がある。

  1. 仕事を始める前に仕事の成果(目標)を明確にし、管理職が現場の人間に伝える。
  2. 成果の計算方法が明確(書類あるいはメール記録)で、成果にあわせて給料が支払われる。
  3. 仕事のやり方を現場の人間に任せる、労働時間は各個人が決める。
  4. 成果の計算方法は経営者と労働組合で交渉する。
  5. ほんとうに1日で終わる仕事の量であるかは管理職と現場で交渉する。

明らかに労働法に違反する時間を指定してしまうと違法になるから、明らかに1日で終わらない量の仕事をあたえて、これが終わりまで帰っちゃダメといっておく (たくさん残業させた方が儲かる)。そんなことが行われてしまっているのが現状だ。 それは実質、残業の強制と同じ、パワハラである。

見回りの強化、労働者同士での情報の共有

労働組合の幹部は、経営者と癒着が起こりやすい。 支払った組合費は「労働組合の幹部の飲み代」になってしまい、相談しても動いてくれないことがある。 なので労働組合の幹部は、若い人間にやらせる(もちろん係長以下の役職)。

「5.専門業務型裁量労働制」は残業の強制やパワハラが起こりやすいので労働組合、あるいは有志による労働法違反の監視が必要。

有志による見回りで残業をしている人間に事情聴取をする。 効率的に仕事をして定時に帰るのが原則であるという文化を創る。パワハラが起こっていないか確認し、パワハラならば相談にのる。 現場の人間同士がIT技術などを用いて情報を共有し、絶対に泣き寝入りはしない、不正行為は正すという信念をもって行動する。

定時で帰るのは悪いことではない。重要なのは「成果」である。 成果とは今月の売り上げだけではなく、教育や会社のブラント・イメージを向上させること、基礎開発(10年先でも企業が存続するために必要な仕事)である。

労働基準監督局の権限強化

残業代を払わなくても良いとするとパワハラが起こりやすいので、 まず先に労働者の幸福、健康を守るしくみを用意しておくこと。

新しい労働法を施行する前に、労働基準監督局の権限強化が必要だ。 労働基準監督局の工数が不足しているので人数を増やすことも必要である。 できるだけ1件1件に時間をかけないで対応するようにする。

労働法犯罪者の告発がしやすい環境をつくることが必要だ。 実際に違反行為が分った時には、労働組合を通して経営者に対して改善を要求。 改善が行われなければ、労働基準監督局に報告、または簡易裁判に訴える。 絶対に泣き寝入りはしない。

本音で話せるようになる

成果主義/年功序列というのは文化である。 表面的なことをアメリカからコピペするだけでは日本に定着しない。

日本で成果主義が失敗するのは「やる気をださせるため」といい、実は「給料の支払い金額を低減」するためであったり、経営者や管理職だけ給料は変わらずに、現場の人間だけ安くなってしまう。 経営者や管理職は評価を受けない。失敗してもそのことを隠し、同じイスに座り続ける。 そんな成果主義ではみんなが反対するのは当然だろう。

どのようなことを成果にし、どの成果に対して何ポイントにするかということがきちんと本人に開示されていること。 あなたは何ポイントだから給料はいくらだということを上司から部下に伝え、納得いかなければ交渉をする。「ゴリ押し」になってはいけない。

ポイントのつけ方を、経営者や管理職だけで決めるのではなく、労働組合の代表、現場の人間とも議論すること。 半年、あるいは1年ごとにポイントのつけ方を再検討、時代に合わせたものに変更してゆく。

労働者1人1人の考え方を改革していく。議論するということが重要である。 決して利権をもった人間からの「ゴリ押し」になってはいけない。

金額に不満がある人間や職場が働きにくい場所であれば転職してしまうかもしれないが、それは必要なことだ。複数の会社を経験、比較しなければ成果と報酬が公正なものかわからないからだ。 それにほんとうに必要な人間が転職してしまうという経験がなければ、経営者は会社を改革しようとは思わないであろう。

有期雇用に関する改正

短期派遣は、問題ではない。 雇用の不安定さを問題にするのは正社員になりたいが、しかたなく派遣をやっている人が多いからであろう。 派遣/正社員とは本来は生き方の選択であるはずなのだが、日本では経営者の都合で決まり、労働者自身の意思で決められないということが問題である。

派遣というのはリスクがあり、即戦力であるのだから本来は正社員より給料が高くなるはずである。 しかし、日本では定年まで勤める労働者が価値があるとし、成果に背を向けている。 派遣だから、若いからという理由で成果をいくらだしても低賃金で働かなければならない。 たくさん残業した人間がえらいとされ、成果を見ない。 女性は残業を嫌がり、30才で退職してしまうので価値のない労働者→低賃金、責任のある仕事は任せられないという発想になっている。

成果を計測するという文化がないため、個人的な好き・嫌いで重要な仕事をしている人に不利益をあたえたり、成果を出せている人間に給料を払わない。 むしろ積極的に転職すれば、人が定着するには、働きやすい労働環境、成果に見合った給料が必要だということをわからせることができる。

派遣の差別待遇が問題

派遣だからといって狭く、汚い部屋におしこめるとか、派遣だからボロボロの椅子、壊れかけのPCを与える。どうせ派遣だから文句は言えないだろうという対応ではこれから働こうという労働者の「やる気を奪う」。

アメリカでは新しい事業を始める時、即戦力のある人間をすばやく雇用するために派遣を使用する。なので重要な仕事に派遣が用いられ、給料も良い。 新しい事業であるので失敗することがあるのは経営者も労働者も理解している。

日本では、できるだけ長期で働いてほしいが、不況になった時に会社の都合で切ることができる人材がほしい。正社員だけ助かりたい。正社員の給料削減はできない。 つまり「トカゲのしっぽ」として派遣が使われてしまっている。 この後ろ向きな派遣の使い方が問題なのだ。